晴天の霹靂

順調に進んでいた人生に大きな落とし穴が

 世の中、突然何が起きるか分かりません。「事実は小説より奇なり」とは誰の言葉なのかは知りませんが、そんなことが我が身に起きるとは思ってもみませんでした。

 毎日の生活にぶつぶつ不平を述べながらも、とりあえず大きな波乱もなく、平穏な日々を過ごしていたある日、突然専業主婦の連れが「体調が悪い」、と言い出しました。

 日頃から風邪一つ引かず、常にマイペースで健康的な生活を送っていた連れが、なぜか心配そうに言います。

 しかし突然体調が悪いと言われても、俄には信じられません。「どうしても心配なら医者に行けば良いんじゃない」と軽くアドバイスをしますが、連れは逆に重い病気を予想していたのか、なかなか行こうとしません。

 ちょうど私も仕事が忙しい時期に重なり、「医者に行けば」と言いつつ、それほど心配してはいませんでした。しかしどうやら体調不良は本当だったようで、ある時思い立って医者に行き血液検査を実施。

 するとなんと翌日医師からじきじきに電話があり、「緊急入院せよ」、という指示です。「おいおい、ちょっと待てよ。体調不良でそんなに状況はひどいのか、そんなわけないだろう」と半信半疑のまま、急遽近くの病院に赴き、診察開始。

 するとやはりこの病院でも緊急入院の指示となり、着の身着のまま病室へ直行。ともかく医師の顔つきは深刻で、このまま数週間過ごしていたら命に関わるという診断です。

 緊急入院のため、我が家は突然父子家庭状態になってしまいました。しかも単なる父子家庭ならまだしも、通常の生活に病院の見舞いが重なります。

 その時点で介護のための早期退職が頭の片隅をよぎりましたが、それではこの先の入院費用も支払えません。

 仕事、家事、病院のお見舞い、さらに息子(当時中学1年生)の世話?の四重生活が始まりました。幸いにも学生時代一人暮らしを経験していたので、最低限の家事は何とかこなせます。

 しかし学生時代と違い電気製品も格段の進歩を遂げています。その上結婚して10年以上も過ぎれば、いろいろな物の置き場所がさっぱり分からなくなっています。家事が出来るとはいえ、何をするにも時間がかかります。

 それでも入院当初は、どんなに長くても一ヶ月もすれば復帰するさ、その間は息子と二人で家の中でキャンプ生活をするようなもんだ、と勝手に決め込んでいました。

 ところが運命の神は容赦なく、そんな私のお気楽生活をあざ笑うかのように、次々と難題を持ちかけてきます。なんと連れの病気は最初に入院した病院では治療が出来ないと言われてしまいます。予想外の宣告でした。

 そして大学病院に転院。再入院先の病院では、治療に四ヶ月かかると言われてしまいます。これは本格的に父子家庭生活に取り組まないと家庭が崩壊するという危機感にとらわれました。しかしそれでもその予想はまだ甘かったことが徐々に明らかになっていきます。

 この間私は仕事を出来る限り早退して病院に駆けつけ、話をして、その足でスーパーにより食材を購入。息子と一緒に食事という生活を続けました。

 妻の病状は4ヶ月の入院後いったんは退院にこぎつけるものの、再び再入院。さらに約1年半の闘病生活を経て、我々家族や親戚一同の願いや連れ自身の生への願いにも関わらず、いともあっさりと天に召されてしまいました。2009年2月のことでした。

 この間私は、病院の見舞い等のため、最初は看護休暇を取得。しかし入院が長期にわたったので、それは使い果たし、有給休暇も消費。

 さらに息子の学校行事への参加として、子育て休暇を取得。一方自分自身の体力を保持するため、またまた有給休暇を時間刻みで取得。(各種の休暇があっただけ良かったのですが)

 徐々にそれ以上休むと給料に直接響くという限界状態に近づいていきました


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