ちょっと前までは予想だにしていなかった事態です。仕事の忙しさと葬儀等の忙しさが過ぎると、しばらくは放心状態に陥りました。
これから、どうしよう。どうなるんだろう。なるようにしかならないさ、と開き直ってはみますが、心の中をすきま風が吹いています。幸いにも息子はそれほど寂しさを表明してはいません。
キャンプ生活で凌ごうと思っていた家庭生活が、本当の父子家庭になってしまいました。4月になり新年度が始まりました。息子は中学3年になり、受験期に突入です。勉強をするしないはともかく、影で後押しをしたり励ましたりする存在が欠けてしまいました。
これまでの2年近い入院で、父子家庭への準備は整っていたとも言えますが、家の中で連れの笑い声が聞こえないのは何とも寂しいものです。しかし寂しい寂しいと言っているだけでは生活できません。心の中に空洞を抱えながら仕事に出かける日々が続きます。
見舞いに行く必要がなくなったので、ある意味時間的余裕が出来るはずでしたが、実際に生活を初めてみるとやたら忙しい。
これまでは見舞いの合間に仕事を早退していたので、そのぶんむしろ時間的余裕があったのですが、フルタイム勤務に戻り、帰って忙しくなったということに遅まきながら気がつきました。
世の中に父子家庭や母子家庭で生活している人は大勢いるはずですが、みんな大変な制約を受けながら生活しているんだなと改めて思い知らされました。ともかくフルタイムでの勤務は辛い、と言うのが実感です。
朝起きて、同時に息子を起こしながら朝食の準備。その日のニュースをテレビで見ながら急いで朝食。朝食終了後は食器を洗い、夕飯のための炊飯器の準備。タイマーがあるだけ良いのですが、なんともせわしない。
続いて夜の内に自動で行っていた洗濯機から洗濯物を取り出し、干します。さらにゴミ出しの曜日を確認してゴミをまとめてゴミ出し。
息子の持ち物や服装をチェックしながら、自分も出かける用意。幸いに職場は車で25分ぐらいの所にあり、息子とほぼ同時刻に家を出ます。
フルタイムで働き、なるべく勤務時間終了後すぐに職場を出て、帰る途中でスーパーにより食材や総菜の購入。家に戻りすぐに夕食の支度をして、息子の話に付き合いながら、テレビを見て食事。
食後は再び食器を洗い、ようやく自分の時間が少し取れます。しかしすぐに風呂の用意。さすがに辛いです。
最初は緊張感というか気負いもあって順調に家事もこなしていましたが、やがて疲れがたまってくると、食器洗いや洗濯はまとめて一挙に、という日が増えてきます。食事も作ると言うよりインスタント食品や総菜の購入が増えてきました。
一方、仕事の方はそんな家庭生活の事情にお構いなく、50代ともなればどんどん新しい仕事をしていかなければなりません。新しい仕事には当然複雑な人間関係のしがらみがついて回り、徐々にストレスがたまります。
時間的制約に加え、精神的ストレスが加わり、さらにもともと体力があったわけでもないので、徐々にがんばろう、という気力が萎えてきました。
そして、そんな生活を続けることによって、万が一自分自身の寿命が縮まるようなことになったら、私はともかく後に残された息子はどうなるのかと考え、これは大変なことになった、と思い始めました。
そして俄に早期退職という言葉が、あこがれではなく、必然という形で現実味を帯びてきました。