大掃除の時期が近づき
家の中を見回してみると

不要な物が溢れている生活(2012.12.10)

 そろそろ大掃除の季節だなと思いつつ、日頃の掃除もほとんどしてません。しかし大掃除をしよう、と言う意識で部屋の中を見渡すと、ここ1年間または数年間に渡ってまったく使っていないとか、手も触れていないものが、部屋の中にものすごくいっぱいあり、中には「何でこんなものが存在するんだ」とい思えるようなものまであります。

 買ったものならともかく、もらったものは使わなければどんどん忘れ去られてしまい、デザインだけが古くさくなった新品同様の食器類が奥の方から出てきたりしてびっくりします。

 そう思って台所の戸棚の中を覗いてみると、普段使っている茶碗や皿は全部足しても息子との二人の生活では30個ぐらいで足りてしまうと思います。

 しかし実際には、いつの間にたまってしまった新品や使い古したマグカップだけでも20個ぐらいあり、まったく手を触れないような食器も積み上がっています。

 本棚を見れば、最近はほとんどすべてを図書館に依存しているので、たまについ衝動買いで買ってしまう旅行関係のガイドブックなんかが並んでいます。

 中には今後絶対行かないだろうなと思うような場所のものがあったり、本そのものが10年以上経過しているものもあります。私が仕事で使うような専門書も、最近はネットを調べれば分かることが多くなり、専門的に勉強し直そうと思わない限り、新たな専門書はほとんど増えません。

 教員に成り立ての頃は、自分の教科指導が不安でいろいろな本を買いました。それもすでに20〜30年経過しています。大学時代に使っていた専門書もいまだに持っていますが、高かっただけになかなか捨てることが出来ません。

 いつのまにかたまってしまうものは雑貨類も多いですね。購入当時は、「これは良い」と思って買っているわけですが、人間は同じものを使い続けることに相当な努力がいります。

 愛着があれば別ですが、なんとなく良さそうだなってとか便利そうだと思って買ってきた100円ショップの細々とした雑貨類も、気がつくと部屋の隅に散乱しています。

 早期退職以来、不要なものは捨てようと努力はしていますので、全体として少しずつは物の量が減っている感触はありますが、「どうしても捨てられない」なんてものがいまだに押し入れの片隅にあったりします。

 人間が最期に必要とする物は、食べるもの、食べるための道具、着るもの、そして住むところがあればいいのであって、後は体が健康であれば充分なわけですが、どうしても欲が出ます。

 あれを是非食べたい、あそこだけは行っておきたい、あれを壁に飾りたい、あの服を着たい、家をリフォームして住みやすくしたい、そしてそれを実現するために出来ればもっと金が欲しい、ということになります。

 欲は節約の大敵だなと感じますが、一方それらをすべて諦めて、最低限の衣食住だけでいいんだと考えるのは、まるで仙人のような生活であり、あまり魅力的ではないなとも思えます。

 結局凡人の場合は素直に自分の欲を認めつつ、その欲をうまくコントロールすることが出来る人が、豊かな生活をしているという感触を得られるのかなと感じます。


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