充実した老後を過ごすには

生き抜くことができた後の「時間つぶし」(2016.8.1)

 タイに来て三日目の夕方です。今日はバンコクからパタヤまで移動してきました。天気は晴れ。埼玉の我が家と同じような気温なので、昼間はほとんで出歩けない感じです。

 こちらへ来る時の成田空港ですが、アジア系観光客が多かったです。日本の観光客はどこへ行ったんだろうと思うぐらい人数が多い。

 世間では爆買いは終了したようだということですが、観光客そのものが減ったわけではなさそうです。要するに一部の富裕層の人たちが、金に糸目をつけずに欲しいものをどんどん買うということがなくなったということです。

 と言うことは逆に言えば、安いものでも価値があるものは今後も売れるということであり、生活日用品等は、今後も売れるのではないかと思います。

 実際成田空港で出国審査のために預けている荷物というか段ボールのお土産を見ると、電気製品もありましたが、結構日用品も目に着きました。

 このあたり、メーカーはリサーチしているのかどうか不明ですが、空港に行けばどんなものが買われているのかがよくわかりそうです。

 また一時ほど、高い音程で声高にしゃべる人は少なくなりました。それなりに本国の指導が行き渡りつつあるのだと思います。今日の夜はパタヤのウォーキングストリートと呼ばれる、日本の歌舞伎町のような歓楽街に行く予定ですが、前回は中国人ツアー客の行列が続いていました。

 今回はどうか?ちょっと楽しみです。

 というわけで、まあとりあえず楽しく過ごしていますが、合間にネットのニュースを見ています。そんな中に「お金持ちがSNSやゲームで時間を消費しない理由」という記事があって、ちょっと面白いなと思いました。

 話の中身は簡単。要は「生き抜くこと」ことが生活のすべてだった昔に比べると、今は「生き抜く」以外に余裕があるということで、問題はその余裕の時間をどう使っているかという部分にあるという主旨です。

 これは私がこれまでも生物としての人間のあり方と言うことで考えていることなのですが、ともかく生まれてからには

1 生き抜くこと

2 子孫を残すこと

が最大の使命だと思われます。ところが一部の限られた人を除くと「生き抜くこと」はかなり容易になり、「子孫を残すこと」には残さないという選択肢も含められ、ここでも生活の幅が広がっています。

 さらに生き抜いて、子孫を残して、その先はと言うことになったとき「何をするか」ということが現在の高齢化社会の至上命題になっているわけですが、その時に余った時間をゲームやSNS、場合によっては旅行で費やしていいのかという問いかけです。

 その部分でもっと生産的もしくは経済的に向上できる部分があるのではという提案だと思いますが、現在旅行中の身の上としてはちょっと耳が痛い話です。

 要するにゲームもテレビも旅行も「生き抜いた後の時間つぶし」としてはもったいないということなのだと思いますが、時間をかけて何かをやったとき、自分の人生をより充実させるような対価があるのかと言うことだと思います。

 ポケモンgoはどうなんでしょうか?私はやったことがないので対価がないとは断言できませんが、動き回ってモンスターを捕まえるというゲームのようですから、体力増強程度の対価しかないような気もします。もしこのコメントで気を悪くする方がいたら申し訳ないです。

 別にゲームに興じている方を蔑んでいるわけではありません。私もドラクエやファイナルファンタジーを必死にクリアした経験があります。要は充実した老後を過ごすにはという主旨です。 


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