老後破たんがないなら次の目標は?

シニアが生き抜く為の目標(2016.12.22)

 人が「良し明日もがんばるぞ」と思う原動力は何だろうかと考える機会が増えています。生きていくのはそれだけで辛いものという考え方もありますが、同じ生きるならより豊かな充実した人生を送りたいと誰もが考えているはずです。

 ではさらに突っ込んで「豊かな充実した人生」とはいったいどんな人生なのかと改めて考えてみると、どうも具体的なイメージがわかないなと言うのが最近の気持ちです。

 人はあれをしたいこれをしたい、あれが欲しいこれが欲しいと思いながら生活しているわけですが、欲しいという気持ちの根本はがあるように思います。

 それは物欲、金銭欲、食欲、性欲その他の欲と言ったものであり、より良い暮らしをするために物が欲しくなり、その物を購入するためにお金が欲しくなります。

 さらに美味しい物を食べたいという欲求からやはりお金が欲しくなります。言い方は悪いですが性欲を満たすために?結婚し子育てをすると言うことになり、それが子孫繁栄に繋がっています。

 そこで伴侶を見つけるために良い格好をして、多少は見栄を張らなくてはいけないわけで、ここでもお金が必要になります。当然ながら充実した人生を送るためには心身ともに完全である必要があり、それなりの医療費も必要です。

 さて私が感じている不安は、こういった様々な欲求が加齢と共に少しずつ薄らいでいくということです。たとえば物欲ですが、デカイ家に住みたい、よい車が欲しい、立派な応接セットが欲しい等々自分が元気ならいくらでも欲求が出てきます。

 ところが年を取って自分の稼ぎにも限界が見え、それを同時に「そんなにデカい家は自分には必要ないな」と感じたり、何もベンツに乗らなくても国産のタウンカーで自分の欲求は充分満たせるとか、軽自動車があればに地上の移動は充分と思えるときが来ます。

 ましてや、運動神経が衰えれば免許その物も必要がないと言うときが来ます。そうなるといずれ欲しい物はなくなると言うことになり(実際そういう人が増えているからシニアの消費は上向かないのかもしれませんが)物欲を満たす必要はなくなります。

 性欲に至っては50を過ぎれば、まだまだ伴侶が欲しいと思う気持ちはあっても、子作り、子育てまで行える体力、気力のある人はマレであるような気がします。

 うまいものが食べたい食欲だけはいくつになってもありそうな気がしますが、歯が欠けて入れ歯となり、胃潰瘍等胃の病気で食べることが辛くなる時期もやってくるかもしれません。

 そうやって一つ一つの欲をじっくり突き詰めて考えていくと、じゃあシニアにとって充実した生活とはなんだと言うことになります。また年を取ると言うのはそういった自分の欲望が少しずつ消えていく時期だといえそうです。

 そういった寂しさを若干感じるようになって、あれこれ悩んでいるわけですが、悩めるうちは幸せなのかもしれません。実は早期退職以後何回も何回も将来計画を練り直し、資産がいくらぐらいあって毎月の収入がいくらあれば生涯無事に暮らしていけそうだというシミュレーションを行っていました。

 その結果ですが、ほぼ早期退職時に考えていた通りの収入が年金として保障され、現時点で予想していた資産が手元にあります。つまり経済的にはよほどのことがない限り破たんしない、という目安ができつつあります。

 そして「そうかあもう安心なんだ」と思った瞬間、じゃあ今後の豊かな老後のために何をすべきなんだろうという堂々巡りに陥っているということです。

 今までは何とか老後破たんがないようにいろいろ計画してきたわけですが、ここに来てようやくそういった悩みから解放されました。喜ぶべきことですが、ただ目標が一つ消えてしまったようで戸惑っています。


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