自分ではなく、子や孫のために

シニアが生き抜く楽しみは、子や孫の成長(2016.12.24)

 今日は更新するつもりはありませんでした。午前中に他のページを修正、更新して昼過ぎに買い物へ。ところがでかけた先のスーパーで、突然朝の降圧剤の服用を忘れたのではと思いついて、すぐに帰宅。

 車で15分程度のスーパーですから、すぐに帰ってこれます。ただ本来は朝食後に飲む降圧剤なので、あまり服用が遅くなると体に良くないのではと気持ちが焦ります。

 家の前の、ほとんど車の通りがない路上に車を停め、家の中に駆け込んで薬を確認すると、どうやら朝の忙しいさなかにちゃんと服用していたようです。

 こんなこともあろうかと、服用した日は「飲んだ」ということを日付と一緒にメモして薬の袋に入れていますが、どうもこの方式ではいまいち不安が残るなと思うようになっています。

 100円ショップあたりで服用忘れを防止するためのグッズ(日にちごとに小さく薬を分けて入れておく容器)があるので、これを利用しないといけないなと思っています。

 それはそれとして、ほっとして再び車に乗り込み夕食の買い出しに出かけました。同じスーパーにまた行くのはなんとなく不愉快なので、ちょっと目的地を変更。

 我が家からは半径3km以内に、ざっと数えてスーパーが10軒近くあります。便利と言えば便利ですが、同じ名前のスーパーもありますので、飽和状態に達しているのではと思えます。

 スーパーに行く前に、ちょっとモスバーガーでコーヒーブレーク。スタバよりもコーヒーの味は良いと思っています。店内も空いていて静かな雰囲気なので、椅子はいまいちですがまあゆっくりできるなと思っています。

 でコーヒーを飲みながら、持参したパソコンをポケットwifiにつないでネットを見ていたのですが、あらためてシニアは何を楽しみに生きていくんだろうとこのところの悩み?について考えていました。

 すると一昨日に最終回を迎えた、唯一視聴しているドクターXの一場面が突如思い浮かび、そうかあやはり大人は子孫繁栄というか子供のために生きているんだ、というのがストンと納得できました。

 生物は子孫繁栄が第一ですが、そのためにはやはり子供を大事にしないといけない。残念ながら良縁に恵まれなかったり、子供が出来なかった人もいるかと思いますが、基本的には子供を育てる事が大人の喜びなんですね。

 当たり前じゃないかと言われそうですが、私はこれまで自分の幸せや生きていくための楽しみを第一義的に考え、その余力?で子育てをしているようなところがあったと思います。

 実家の母親が60歳を過ぎた私に対して、寒いから暖かい恰好をして風邪をひかないようにと言いますが、これは要するにそれを心配することが生きがいになっているという事なんだと初めて気が付きました。

 子供が病気もせず、すくすく成長し、学校に行って卒業し、就職して伴侶を見つける、という人生の流れをそのまま認めて応援し、なるべく気持ちの良い生活になるように見守り支援するという事がシニアの生きる目的のひとつのようです。

 うまく文章で書き表せませんが、今日はちょっと自分なりにカルチャーショックを受けたなと思っています。 


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