豊かな生活は
精神的な満足感で得られる

2017.7.25

 朝っぱらから蒸し暑い1日でしたが、午後になって買い物に出かけているときに雨が降り出し雷も聞こえてきました。買い物を済ませ帰宅すると、気温も少しずつ下がった感じ。

 やれやれと思って休憩していると、徐々に眠気が襲ってきたのでそのまま昼寝。起きたら雨も小降りになっていて、外は相変わらず蒸しています。ただ気温は少し下がりました。

 今日の午前中はいつものように旅行ブログを更新して株式をチェック。今日も全体が弱含みで、まあこういうときは購入のチャンスだろうと思い、2475WDBホールディングスと7600日本エム・ディ・エムの値動きを見て、適当な数値で指値。

 買えないかなと思っていましたが、買い物から帰ってきたら買えていました。とはいうものの、ここの所買ってばっかりいるので、いわゆる投資資金の方もそろそろ枯渇。明日以降は値上がりを待って利益を確保、もしくは値が下がって泣く泣く損切ということになりそうです。

 さて帰宅して、パソコンでニュースを見ていたら、msnニュースで、「完全に詰んだ貧困高齢者が爆増する」という記事が目に留まりました。

 一般的に高齢者は裕福だというイメージがありますが、それは団塊の世代の前までだ、ということのようです。特に私の年齢前後の1950年代前半に生まれた人は、バブル景気で踊らされた後、減給やリストラの対象となり、老後資金が十分でない人が多いということです。

 実際私も、フルタイム時代後半の給料はほとんど増えなくなりました。一方で各種の税金や社会保障の負担が大きくなってきたので「こりゃ老後は相当大変だ」という思いを強くしていました。

 そういった思いに至ったのは40代半ばだったと思います。幸いにも仕事は公務員でしたから、不祥事を起こさない限り、仕事を辞めさせられるという不安はありませんでした。

 一方、世の中ではリストラという言葉が頻繁に聞こえるようになり、やむなく職を辞し、新たな可能性を求めたものの、なかなか思い通りにいかないという人も多かったのだと思います。

 こういった人たちは国民年金も未納とならざるを得なかったと思われますが、ということは65歳以降の年金がもらえないという可能性も強くなります。

 必然的に生活保護に転落する方も多くなると思われ、その人数が増えるのはまさにこれからだということになります。ということはその社会保障費増のために、働いている人への負担が増えるということにもなりそうです。

 しかし働いている人にも派遣労働者が増えていますから、そういった負担に耐えられない若い人も出てくるように思います。

 まあそういった将来に対する不安を何となく感じている人が多いので、いくら政府が休みを増やして、どんどん消費してくださいと旗を振っても、消費する余裕がないと考える人も多いのだと思います。

 その意味では社会的風潮として、何が何でも経済優先という自民党が主張するような経済政策ではなく、そこそこの生活ができれば十分、そういった生活こそが精神的にも豊かな人生になるという風潮を奨励すべきであるような気もします。  


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