自分で判断することが重要

2017.8.30

 午前中は妙に蒸していて、不愉快な天気だなと思っていましたが、お昼を食べてしばらくしたらものすごい雨。私はちょうどリハビリ病院に車で向かっているときでしたが、久々に激しい雨でワイパーが追い付かない状況になりました。

 まあ田舎道なので、行き交う車もほとんどなく特に問題ありませんでしたが、あんな雨が1時間以上続いたら、帰りは道路が冠水しているだろうなと思いつつ病院へ。

 幸いなことに病院に到着するころは雨も小雨になり、ほっとしました。しかし病院から帰ってきてテレビのニュースを見たら、あちこちの道路が冠水したみたいで、立ち往生した車もあったようです。

 しかし車の持ち主のニュースでのコメントが私は気になりました。「前の車が行けたようなので、自分も行けると思ったが途中で止まってしまった」と言っていました。

 まあ悪気はないコメントで、普通の判断かなという気もしますが、それでも最近のニュースを見ていると、他の人がやっていたから自分も・・・、というコメントが多いような気がします。

 つまり何らかの判断をするとき、その判断を自分でするのではなく、他人の判断に依存しているということです。誰かがそうやるから私も・・・というのは、自分で判断をしない分、気楽です。

 まあその結果は自分でその後の責任を負うわけですが、他の人の判断が間違っていたら、一蓮托生ということになるわけで、なんだか主体性が感じられないなあと思います。

 一方様々な気象災害で、ここ50年ではありえなかった気象現象というのが取りざたされていますから、他人の判断は宛にならない時代になっているように思います。

 同様に、これまでも大丈夫だから安心していた、なんていうコメントが床上浸水や裏山のがけ崩れ等の被害者から出されることが多いですが、これらも過去の実績に頼れる時代は過ぎたように思います。

 一方他者依存度の高い人は、今後こういった判断をAIに任せる時代が来るのかもしれません。すでに一部では始まっていると思われますが、資産を増やす投資の分野にもAIがどんどん普及しているように思います。

 しかしそうなると株の売買等、AIにまかせっきりという人も出てくるはずで、いずれはすべてAI同士の売買となり、人間の必要性はなくなるという、恐ろしいかどうかは分かりませんが、変な投資の時代が訪れるかもしれません。

 また既に、AIが個人を格付けするというようなことも行われ始めているということが先日の新聞に出ていました。今でも例えば上級クレジットカードには審査というものがあり、過去に借金を重ねた人は審査が通りにくいようです。

 しかしやがて、経済状態以外に仕事の内容、健康状態、性格、意欲、家族構成といった内容も数値化され、クレジットカードや住宅ローンの審査が行われる時代が来るだろうなという気がします。

 すでに中国ではAIが個人の格付けを行っているというニュースが8月27日付の毎日新聞の記事に出ていました。たまたま上級のスコアになった人はうれしいのかもしれませんが、下級ランクに位置付けられた人には不満が残るような気もします。

 しかし機械(コンピューター)が格付けをしたのだからと言われれば、「はあそうですか」と引き下がざるを得ない時代が来るのかもしれません。

 というわけで、普段の生活の中で判断を放棄していると、やがてすべてコンピューターに任せるようになり、自分で判断しない人間が増えるという結果になりそうです。

 その方が気楽だと思うかもしれませんが、私自身は苦労してでも、できる限り自分で判断できる領域を確保しておきたいと思っています。

 ちなみに最近のNHKの天気予報では、翌日の天気に合わせた服装なんてこともコメントされていますが、考えようによっては余計なお世話だと思えるときもあります。親切も度が過ぎるとお節介に感じられるということでしょうか。 


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