長生きは目出たいのか?

2017.9.15

 ハワイに行く前からず〜っと気になっていることが一つあるのですが、それは長生きは目出たいのか、ということです。

 そもそも生命が誕生した瞬間から、生命は少しでも長く生きることを宿命として、自らの細胞の数を増やし、各細胞の機能を分化させてきたのだと思います。

 また自分自身の命が潰えても、それまでに蓄えた経験や知識を次の世代に残すように遺伝子を書きかえ、さらに次世代が周辺環境に適応しやすいように性の違いを生み出し、二つの性が交わることによってより柔軟性のある生命を作り出してきたんだろうと思います。

 つまりより長期間生きて、子孫を生み出すことが生命の至上命題の一つであると言えます。従って「長生きをして子孫を増やす」ということが当たり前のように貴ばれるわけで、それが長生きは素晴らしいことだという論拠になっているような気もします。

 しかし、そう考えると生殖という大きな使命を終えてからも、ただひたすら食べ続け、生き続けるだけの生命にはどんな意味があるのか、ということが気になっていました。

 そもそもそんな意味はない、と断言してしまえば話はそれでおしまいなのですが、それでも生きていく以上、何らかの意義があるのかもしれないと考えないと、そもそも老後を楽しむという発想は生まれません。

 そうやって考えていくと、折角生きているんだから楽しまないとという、ごく当たり前の結論しか導き出せないのですが、しかしこの辺りの論拠がもう少しはっきりしないと、本当の楽しみは得られないような気もします。

 私は若いときから旅行が好きだったので、仕事から解放された今、できれば世界中を回ってみたいなと思っていますが、それは一体なぜ?と問われると明確な返事はできないような気もします。

 単に、仕事を終えて他にすることがないから時間つぶしのために旅行に行っているのかもしれません。もちろん仕事そのものが大好きで、生涯現役を貫こうとしている方も大勢いると思います。

 しかしそれではその仕事は何のため?と問われたとき、明確な返答は打ち出せるものでしょうか?

 てなことを理屈っぽく考えていると、なんだか堂々巡りになってしまい、結局なんの結論も出ないまま時間だけが過ぎていくと感じることが多いです。

 もちろん答えのない疑問なんだろうなということもうすうす分かっています。当然ながら、明日以降もまだまだ私の人生は続きそうなので、いつまでも同じ疑問を持ち続けて、同じ場所にとどまってもいられないなとは思っています。


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