お金持ちでないと議員さんになれない?

全国的な低投票率を見て感じたこと(2015.4.14)

 昨日の地方選は、やはり全国的に投票率が低かったようです。しかしその中でも埼玉県は千葉県と並んで低投票率で、なんとも情けないです。(さらに埼玉県の中でも私の選挙区は・・・・。悲惨の一言です)

 というわけで、争点らしい争点がなく、俺一人が投票に行っても行かなくても、「きっとどうせ現職が当選するんだろう」という雰囲気がひしひしと感じられました。
 
 しかし最近の選挙を見ていると、原発問題や年金問題、消費税問題、領土問題と争点は多数あるのに、国政選挙でも投票率は下がる一方のような気がします。

 つまり「争点がないから投票率が低い」わけではなく、争点があっても投票率が低いという現実があります。その意味では、選挙によって自分の考えを代弁して政治に生かしてもらう、という意識が希薄な人が増えてしまったということになります。

 ということは、政治は政治、自分の生活は自分の生活と切り離して考えている、ということです。ある意味施政者側からるれば、実に御しやすい政治状況だといえそうです。

 一方で、自分の身近に何らかの被害が及ぶようになると、突然寝ていた人がむっくり起き上がるように、ゴミ処理施設反対、保育園反対といった声が上がります。

 当然ながら沖縄問題や原発問題も、「ひじょうに大きな問題だ」ということは、ニュース等でなんとなく察しがつきますが、それが自分の生活と関係があるとは思えないと判断している人が多いと思います。

 恐ろしいのはそういった有権者の姿勢や考え方が、当の政治家にも蔓延していて、自分の地盤内のことや寄付金を得ることにはには熱心でも、それ以外のことには無関心。ひどいなと感じるときは無教養というか、倫理観すら怪しい人が大勢いそうに見えることです。

 さてどうしたもんか?どうなることか?と心配するわけですが、「なるようにしかならないな」と思えるのも事実。昨日は、候補者は乱立したほうが面白いと書きましたが、では逆になぜ乱立しないのか?今回は、あちこちの選挙区で、そもそも投票による選挙そのものも行われず、無投票当選が激増。

 立候補者が少ないのは、「他人のために体を張ってがんばろう」という気概の持ち主が減ったからなのか、それとも立候補時に収めなくてはいけない供託金の額が高すぎるのか?

 ちなみに県議会選挙の供託金は60万円だそうで、ある程度の得票率があれば戻ってくるそうですが、そうでない場合は国家に没収?(という言葉が適当なのかは不明ですが)されるとのことで、それではおちおち立候補できないなとも思えます。

 ということは議員さんになるためには、余裕資金が100万単位で必要になるということで、組織に根ざした人か、お金持ちしかなれないということになりそうです。

 仮に、そういった方々が議員になったとして、本当の意味で貧困層に手を差し伸べるような政策を考えることが出来るのか?という疑問も感じます。

 今回は未曾有の低投票率ということで、この後色々な分析もされるのではないかと期待していますが、分析するだけでは投票率は上がらないような気もします。

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