1964年はオリンピックの年でした(2016.6.23)
たまたまですが、このサイトの元になっているブログの回数が1964回となりました。1964という数字は、シニアの私には結構記憶に残っている数字です。西暦1964年に何があったのか?
私は小学生でしたが、日本中に高速道路ができ、新幹線が開通し、そして東京オリンピックの開幕です。あれからなんと50数年も経過しているんですね。
私が通っていた小学校はお金があったのか、政府の補助かどうかは知りませんが、各教室にテレビが入り、授業の合間か授業そのものの時間にオリンピック中継を見た記憶があります。
このあたりを境に、日本は1990年前後のバブル崩壊に向かって突入していくわけですが、当時はそれが当たり前の姿だという気もしていました。
毎年のように物価が上がり、給料を上げろというストライキが起き、買いたいものがどんどん表れ、それを買うために必死に働くという事が繰り返され、景気は過熱。
当初は好循環だった景気がいつの間にか上滑りをはじめ、一部の公務員さんはボーナスの額より期末の差額手当の方が額が大きい、なんてこともあったようです。
つまり1950年ぐらいから、1990年ぐらいまでの40年間、日本は景気の山を駆け上がり、その後25年ぐらいたった今も、いまだにその山から転げ落ちている最中だとも言えます。
その下降曲線は以前に比べると緩やかになっているような気はしますが、同時に少子高齢化という深刻な事態が日々進行していますので、その下降曲線を再び持ち上げるのは、ほとんど不可能というようにも感じます。
安倍政権はアベノミクスという方針を掲げ頑張ってきましたが、どうやらその効果は限定的だったというのが、一般的な見方になってきたようにも思います。
雇用が改善されたと言っていますが、それがアベノミクスの影響なのか、単なる少子高齢化で年寄りが退職しているだけなのかという分析はされていません。
実際今も非正規雇用は増え続けていますから、それをもって雇用が改善されたと強弁するのは、なんだかなあ、と感じてしまいます。
しかしでは民進党を初めとする野党がやっていたら何か変わっていたかと考えると、やはり坂を転げ落ちる巨大なボールの勢いを止めるためには力不足という感じもします。
そう考えると「何をやってもダメ」「選挙は無意味」とむなしい思いを抱いてしまいますが、何もしなければ何も変わらないのは当然です。
なるようにしかならない、という人生観も大事ですが、少なくとも子供たちのために、各政党が誰の利益のために活動しているかということぐらいは見極めたいなと思っています。
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