オリンピック開催と人への配慮

2020年東京オリンピック開催が決定(2013.9.8)

 2020年東京でオリンピックが開催されることが決まったようで、若干複雑な思いはありますが、まあ費やしたお金も大きいようですから、先ずはめでたいということでしょうか?

 前回の東京オリンピックは1964年。今からおよそ50年前。私が11歳。オリンピックを契機にして、東京が大発展を遂げたと記憶しています。

 新幹線が開通し、高速道路網や首都高が整備され、交通の利便性が一気に高まりました。私は6歳の頃、当時新宿から目黒区に父親の仕事の関係で引越をしましたが、新しい目黒区の家は団地でした。しかし、近くにはあちこちにまだ空き地があり、さらに家の周りの周辺の道路は舗装もされておらず、ドロドロの道だったことを覚えています。

 それが数年で、きれいな舗装道路に生まれ変わりました。まさに高度成長の黎明期だったのかなと思えますが、同時に経済的な弱者も多数生まれていたと思われ、家にはよく「押し売り」が来るので、母親が困っていたことを覚えています。

 今のオレオレ詐欺にようなものに較べれば、規模も小さく、何の使い道もないようなゴムひもを高く買ってくれと売り込むような手口でした。

 団地の周辺には最初個人商店ばかりだったのですが、やがてスーパーマーケットなるものが出来、当時も安売りに強い関心を持っていた主婦の人たちが、そこへ殺到。私も母親に連れられて買い物カゴを持って歩き回った記憶があります。小売店とスーパーの熾烈な闘いが始まった時期です。

 団地ですから、周囲には子供達が溢れていました。私が通った学校は、教室数が足らなくなり、毎年のように増築を繰り替えしていました。

 学校から帰ってくると、あっと言う間に5〜10人ぐらいの子供達が集まり、あとは暗くなるまで、若しくは親が呼びに来るまで外で遊びほうけるという、今のように家庭でゲームとか、塾通いという世界とはまったく無縁の生活をしていました。

 しかしこういった子供達同士の遊びによって、自然に年齢差のある子供達の付き合い方や、場合によっては喧嘩の仕方みたいなものを覚えていったような気がします。

 オリンピックを契機にして、各教室にテレビが配置されたのは新鮮な驚きでした。実際にそのテレビで重量挙げや水泳、バレーボール、といった種目を授業中に見せてもらった記憶があります。

 団塊の世代の方達は、当時中学生ぐらいでしょうか?ノスタルジックで、「あ〜、昔の日本は素朴でかつエネルギッシュだったなあ」という感慨を共有できるのではないかと思えます。

 翻って、今回の東京オリンピック決定。喜ばしいことかもしれませんが、金がない日本が、これでさらに金を浪費することにならなければいいなと言うのが、ある意味年寄りの分別でしょうか。

 もう1点。東京にオリンピックを誘致するために、福島の汚染水問題を解決しなければいけない、という新聞報道に強い違和感を持ちました。

 汚染水問題で一番影響を受けているのは、オリンピックではなく地元の人たちであって、先ずはその人達のために解決すべき問題であるというのが正しい認識だと思っています。

 オリンピックと福島、どちらが大事なのか?なんだか経済効果ばっかり考えて、人への配慮を忘れているような気がします。


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