強い日本を目指している?

政権が望んでいるのは砂上の楼閣?

 安倍総理はアメリカに行き、日米の防衛協力について話し合い、満面の笑みで得意顔ですが、また一歩争いごとに近づいたなという印象をぬぐえません。

 しかも今回は、自国のためではなく友軍のためならどこにでも馳せ参じるという役目を持つようなことまで決めているようで、新聞にも出ていましたが、国会できちんと話をしているのかが気になります。

 まったく防衛力を持たない国というのも確かに想像しずらいのですが、他国のために場合によっては武器を持って出かけることがあるということですから、これは明らかに軍隊であり、憲法との整合性が問われるはずです。

 極端なことを言えば、政権自体が憲法違反を行おうとしているわけで、解釈によって法律はいくらでも捻じ曲げることが出来るんだというイメージが出来つつあります。

 一方国内では原発は安いと言い、今後も主要な電源の一つとして考える姿勢を貫くようです。確かに電気を作るという観点だけで見ればコストは安いのかもしれませんが、廃炉費用や放射性廃棄物の処理費用を含めると、「安い」という論理は通用しないように思えます。

 つまり原発をどんどん稼動し、処分できる当てもない放射性廃棄物を今後も増やし、さらに廃炉費用はこれからの世代の人たちに任せるという無責任な路線です。

 このところ地球全体の活動が活発化し、各地で大きな火山活動や地震が起き、日本でも新たな活断層の存在が指摘されています。しかし政府は安全性は確保されたと言うだけです。

 かつて日本全体に原発を作っていたときも、「原発は二重三重の防護処置があるから絶対安全だ」と言っていたのに、東日本大震災で大きな事故がおきました。

 確かにその後安全審査は厳しくなったのだと思いますが、事故の確率をゼロにすることは出来ません。二酸化炭素排出量とかエネルギー供給量確保という経済的な問題があるのだとは思いますが、それでも事故が起きたときのリスクが大きすぎるなと私には思えますし、実際今でも福島原発事故の影響が残っている現実があります。

 さらに別の観点から言えば、日本は少子高齢化社会に突入し、消滅都市が取りざたされているわけですから、今後の経済活動は必然的に縮小するはずですが、そんな中でさらに電気を増産する必要があるのかという疑問も感じます。

 産業を発展させるためというかもしれませんが、その発展の担い手になる若者が減り、国全体で見れば貧困率が高まっているわけですから、さらに今以上の電気が必要だという論理も理解できません。

 政権トップの人たちは相変らず国の経済発展と強い国になることをだけを望んでいるようですが、どうもその基盤となる庶民の力を著しく軽んじているため、砂上の楼閣に見えてしょうがないです。


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