核家族を高齢者が意識?

高齢者の体力が伸びている理由(2013.10.15)

 70歳前後の高齢者の方が健康維持を目指して、ジムに通ったりウォーキングを行ったりしている姿は大変素晴らしいものがあると思います。

 そもそもウォーキングは基本的に歩くだけですから、お金もほとんど必要ありません。ところが普段見慣れた街でも、あちこち歩いてみると 様々な新しい発見があります。

 加齢に伴ってそれまでまったく関心を持っていなかったことにふと気がつくというのは不思議な体験です。「ここにこんな大きな樹があったんだ。樹齢はどのくらいだろうか?」とか「なんか良い匂いがするな。これはキンモクセイか?」とか、「ありゃりゃこんなところにお地蔵さんがあるぞ?こりゃ何のためだ?」等々、車では見過ごすような小さな発見がいろいろあります。

 私がウォーキングをしているのは河川敷なので、秋から春にかけては思っても見ない野鳥を見かけることもあり、鳥類図鑑を買ったり、デジカメでその姿を撮影したりすることもあるのですが、「こんなところにこんな美しい鳥がいたんだ」とか、「うわ〜ヘビだ」と思わず後ずさった事も何回かあります。

 それぞれがこれまでの仕事では体験できなかったようなことで、一つ一つに新鮮な驚きと喜びを感じる感覚が不思議です。空を見上げて、「あ〜絹雲だ〜」とか「今日の三日月はきれいだなあ」とか、若い人が読んだら年寄り臭いと思われそうですが、そういった自然現象を愛でる気持ちというのが、ウォーキングを通して戻ってきたように思います。

 それはそれとして、何故高齢者が健康維持に努めるのか?もちろん私も含めて、自分の健康に責任を持って、より長く元気に暮らしたいという気持ちが強いのだと思いますが、その一方でもしかしたら新しい核家族社会における高齢者の生き方みたいなものを、考えている人が増えてきたのかなと思っています。

 つまり核家族になって、さらに高齢者が子供達の世話になりながら同居するという家族形態が徐々に失われ、高齢者は高齢者だけで生活しなければならない、という生活環境がはっきり見え、であるなら少しでも自力で生活し、人に迷惑をかけずに人生を全うしたいと考える人が増えているのかもしれないと思うようになりました。

 私自身、今は大学生の息子と同居し、食事の世話や学費の面倒を見ていますが、いずれはその立場が逆転すると共に、息子自体がこの家を離れていく可能性があります。

 そうなったとき、私が一人で生活できる余力があればいいのですが、健康を害していれば、息子もおちおち働けないという状況がはっきり予想できます。

 逆に言えば私自身が健康で自立した生活を送ることが、私自身のためにも息子のためにも良いということであり、であるなら、ともかく出来る範囲で健康維持に努めなければならない、という結論になります。

 以前に比べるとそういった老後の生活をどうするか、ということを真剣に考える高齢者が増えたということではないでしょうか?

 一方テレビでは30代の方の体力が低下傾向という報道もありました。仕事が忙しいというのが理由のようですが、10年ほど前からコンビニ前や電車の中で通路に座り込む高校生が出始めたように思っています。

 体力的に大丈夫か?と心配していたこの子達が30代を迎えつつあり、そのことと体力低下が微妙に関連しているのではと気にしています。


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