年収が多い人は消費する暇もない?

ブログが資産に変化する?(2014.6.8)

 数日前の新聞に日産の役員報酬が8人で16億5400万円という記事が出ていました。一人当たり約2億円。普通のサラリーマンの生涯年収を1年で稼いでしまう計算になるような気もします。

 なんともうらやましい話だなと思いますが、それだけの報酬を得る責任と急がしさや精神活動を行っているのだろうなということも多少は分かります。

 しかし、一方でパートで働くことしか出来ず、毎日必死に働いても年収は200万に満たないと言う人もおおぜいいると思いますので、いくらなんでも差がありすぎるのではという気もします。

 一方、億という単位の報酬を得ている人は、当然大変毎日忙しい思いをしていると思いますが、会社まで車で送迎され、会社では的確に指示を出し、会議を行い、経営の戦略方針を決定し、場合によっては外部の人や団体と会って交渉や話し合いを行い、夕食は料亭で、なんていうような生活なのかなと想像しています。

 庶民の勝手な推測ですから実態は分かりませんが、こういった生活になってくると土日も付き合いでゴルフとかになりそうです。

 ということは、これも私の想像ですが、億という年収があってもそれを消費する時間がない、と言うことになりそうです。送迎用の車に1000万の車を使うと言っても、それは会社の費用です。

 自分用に1台1000万の車を買っても運転している暇がない。毎晩料亭に通っておいしいものを食べたとしても、場合によっては会社の交際費となり、自腹を切るということもあまりないのかもしれませn。

 そうすると自分の懐から出て行くお金というのは、我々庶民の生活より10倍以上多いとも思えません。つまり貰った報酬のほとんどは手元に残ると言うことになり、自然に資産が増えていくという結果になりそうです。

 もちろんそれなりの税金を支払い、ステータスに準じた必要経費がかかるんだと言われれば、「きっとそうなんだろうな」とは思えますが、お金の増え方は庶民とはまったく桁違いだろうなと言う気がします。

 だからどう、という結論はないのですが、うらやましいと思う反面、貰っても使い切れない、又は使う暇もないようなお金を持っていてどうするんだろう?という気はします。もちろん資産と言う形で家族に残っていくわけですが、60代になって、自分がこの世からいなくなった後ということを少しずつ気にするようになってきました。

 我が家の場合形として息子に残せるのは今住んでいるこの家だけです。小さな家ですが、一応親からの援助をほとんど受けず、自力で建てたと言う自負が若干あります。つまり息子は家または土地の心配をする必要はないという少しばかり恵まれた状態から人生をはじめられるわけです。

 人間と言うものはどうも、自分が生きていた証みたいなものを後世まで伝えたいという強い欲求があるようです。命に限りがあるということの裏返しなのかもしれませんが、時にはそれが巨大な家や墓になったりもするようです。

 現代ではさすがに巨大なお墓を建立すると言う資産家はいないようですが、自叙伝や自分史を残したいと考える人は多いようです。このあたりの気持ちはなんとなく分かるようになって来ました。

 前にも書きましたが、今書いているこのブログも、いずれ息子が真剣に読むときがくるのではないかと密かに期待しています。いずれブログが資産や遺産になる時代がやってくるのかもしれません。


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