株高が歓迎されていますが、その恩恵はどこに?(2015.2.21)
ヨーロッパでギリシャの支援続行が決まったということで、アメリカの株価は上昇。日本の株価もこのところ、消費者の購入実態は相変わらず節約傾向が続いているのに、円安の影響で企業業績が回復しているらしく、先日ついに18000円台に到達。
週明けもギリシャ問題が一段落と好感されれば、さらに上がるのかなという気もします。
そんな中、月々4万円ほどで、1年半ほど続けてきたわずかながらのセゾン投信の積み立ても、なんとか10%ほどの利益が出ています。額にして10万ぐらいでしょうか?
もし月々40万円ほど積み立てていたら、今頃は100万円の利益、なんてことを考えたりもしていますが、逆に価格が下がり、資産を失う可能性もありますから無理は出来ません。
ということは投資は余裕資金で行うということになり、逆に我が家の場合、余裕資金で行う限り、儲かる額の上限も高が知れているということになりそうです。
それでも余裕資金がほとんどないという家庭もあると思われるので、少しでも積み立てる余裕があるというのは、歓迎すべきことだとは思います。
しかしそうなると、いつも言われることですが、最初からお金をたくさん持っている人は、現在の相場では何もしなくても自然にお金が増え、余裕資金のない人たちは、いくら株価が上がっても資産はまったく増えないばかりか、物価の上昇によって生活はますます圧迫されるということになりそうです。
どんな経済政策をとっても、こういった貧富の差は必ず生まれ、富める者はますます富むということなのかなという気もしますが、同じ労働時間で、方や時給800円、方や時給換算で数万円(年収1億円ぐらい)という差になってしまうと、人間の労働価値にそんなに差があるのかなという疑問も感じます。
だとすれば、そういった高額所得の人の税金(所得税)はもう少し高くてもいいのではという気もします。
しかしお金はあればあるほどいいものだというのは間違いなさそうですし、古今東西の様々な小説のテーマも、ざっとくくれば恋愛とお金、権力をテーマにしたものがほとんどですから、まあそれだけ我々人間の気持ちを刺激するものであることは間違いなさそうです。
というわけで、誰もが少しでも合法的に多くの収入を得られるような社会体制を作るのが国家の仕組みかなと思われますが、現状は繰り返しになりますが、「誰もが」ではなく、「一部の富裕層が」という状況になっていて、その傾向はますます強くなっているような気がします。
とはいうものの、「ほとんどの人が不況だ」と認識していた、過去20年に較べれば、富裕層とはいえ、一部の人に利益が生まれる体制が出来つつあると考えれば、今はそれしか方法がなかったのかという感覚もあります。
ただ我が家の近くのアパートにも高齢者で一人で住んでいる方がいますが、あの人たちの暮らし向きはいったいどうなっているんだろうと、時々我が家の前をトボトボと通り過ぎる姿を見て考え込んでしまうことがあります。