いつの間にか自分で殻を作っている?

凝り固まった生活の殻を打ち破る努力(2014.5.23)

 高齢者の弧の解消は、待っていても埒が明かないと思うようになりました。これは日ごろからの行政サービスを見ていれば分かることですが、自分からアクションを起こさないと、行政側は個々人の生活まで立ち入ることは出来ません。

 つまり金が無い、家族が不和、近隣との不仲、仕事が無い、病気である等々様々なことが家庭内では起きていますが、自分だけでは解決できないことも多数あるということです。

 そういったとき誰に助けを求めるのか?通常は家族、親戚、職場の人、友人、近所の人、知り合いという順番になるのかなと思っていますが、行政に遠慮なく援助を求めても良いのではと思うようになりました。

 また今は誰もがネットを使える時代になっていますから、相談コーナーのようなところにまじめに書き込めば、親身になって相談に乗ってくれる方も多いなと感じています。(このブログを書くに当たって、そういった質問と回答を読んだりすることもあります)

 要するに一人で抱え込まないと言うことだと思うのですが、しかしこれが実は難しい。相談すること=自分の価値が下がること、頼むこと=相手より下位になる、というような意識を持っていると、プライドと言うか生き様を否定されるようで、相談なんかするもんかという気になることもあります。

 私の場合は、そういったことも考えて、あえてこのブログでは、我が家の実態を正直に数字まで出して赤裸々に報告しているつもりですが、実はもしかしたら、この程度の生活はできるんだぞという自慢になっているのかもしれないなという気はしています。

 それでも自分の考えや気持ち、生活実態を書き続けることによって、私の頭の中では少しずつ将来の展望が見え始め、今私にもっとも欠けている物は、他者との共存またはコミュニケーションと言う視点だろうなと思っています。

 仕事が教員なので人付き合いがうまいと思っている方もいると思いますが、私はどちらかと言うと、誰とでもすぐに打ち解けて明るく会話をするというのが苦手な人間だと思っています。

 というわけで、ではどうするか?ということですが、今回あえてお金をかけて、職場の歓送迎会や、高校の同期会に出席したのは、そういった気持ちが背景にあったからです。例年はすべて断っていました。

 しかし職場の歓迎会では、私同様に家族の中で病気を抱えているものがいて苦労しているとか、同期会では福島の風評被害で苦しんでいるとか、やはり奥さんを病気で亡くされた方がいるとか、まあある意味似たような境遇の人もいて、言い方は不謹慎ですが自分だけが苦労しているわけではないという安心感を得られたとともに、そういった方たちとの交流も深まったように思います。

 とはいうものの、これは一時的な交流に過ぎません。それをある程度継続したものにしないと、本当のコミュニケーションにはならないんだろうなあと思っています。

 ただこれまでの私の生活環境の殻を少しだけ打ち破ることが出来たと個人的には思っています。


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