出来る努力を積み重ねる事が大事

3月から4月に移るときの気持ち(2015.3.27)

 3月27日となり、新年度が近づいてきました。相変わらず大量の花粉が飛散しているようで、この時期にやりたいなと思っていた家庭菜園の葉物の種まきに躊躇しています。

 ただこの先日曜日には若干雨が降りそうな気配なので、それまでにこの時期に撒けるものは撒いてしまいたいなと思っています。幸いにも今日はこれからぐんぐん気温が上昇し、風もなさそうなので絶好の家庭菜園日和。マスクをしてがんばろうかなと思っています。

 さて4月からは年金生活とか、退職して仕事から解放されるという方もいるのではと思います。そういう方は、来週の月曜火曜の勤務に、通常とは違った感覚で望むことになると思います。

 私は教職でしたから、1月になってからは、これが最後の卒業試験の問題作成だとか、これが最後の学力検査(高校入試)の監督だとか、これが最後の卒業式だな、なんてことを思いつつ、一方で「ようやく重圧から解放される」という、懐かしいようなほっとするような複雑な気持ちを抱えていました。

 一方で学校の場合は3月24日頃に終業式を迎え、それ以降は春休みになります。生徒のほうは部活動で登校。教員も来年度の準備のための会議をしたり、書類作りをしたりと、相変らず忙しい時期ですが、4月から仕事がない場合は、なんとも言えない開放感を覚えることも事実です。

 私の場合は卒業式を終え、成績会議が行われ、入学許可候補者に向けての説明会を行う頃、肩にかかっていた重みが少しずつ軽くなっていくのを自覚していました。

 この重みこそが、今振り返れば「ストレス」だったということになりますが、当時はともかく「重みが消えつつある」ということを自覚。それに伴って、常に感じていた「高血圧の症状」が徐々に薄れていくのも自覚。

 もちろん今でも降圧剤は服用していますが、当時は「降圧剤を服用してもちょっとしたきっかけですぐに血圧が上がる」という境界状態を意識していました。

 それが精神状態の改善と共に、多少の動揺でも血圧への影響は軽微だなという自覚が出てきました。周囲の先生からは「顔色が良くなってきましたね」と真顔で言われましたから、ほんとうにやつれた表情をしていたのだと思います。

 というわけで4月1日の朝を迎え、ゴミ出しに行ったとき、周りを歩くサラリーマンや小中学校の生徒を見て、「俺はもう行かなくて良いんだ」といううれしさと、「この年(57歳)で早期退職して、こんなにのんびりしていていいんだろうか?」という気恥ずかしさも感じました。

 それと共に、これからどんな生活が待っているんだろうか?本当に家計はシミュレーション通りもちこたえるんだろうか?という二つの不安も感じていました。

 今振り返ってみると、早期退職までのフルタイム勤務をきちんと行ったことで、すでに生活基盤は出来ていたのだろうなと思います。フルタイム勤務をいい加減な気持ちで行い、ひょんなことから早期退職となってしまった場合とは、生活基盤が大きく違うだろうなと感じるようになっています。

 どんなときにも真面目に真剣に、そして自分がそのとき出来る最大限の努力をすることが、将来の老後の生活を良い方向に導いてくれるような気がしています。


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