年賀状を読みながら考えたこと

定年以降は、人との交流が大事になりそうです(2014.1.5)

 今年は年末にバンコクに行った関係で、珍しく旅行前に年賀状を全部仕上げ、20日頃投函しました。

 実は妻を失って以来、ここ3〜4年は、ひっそりと暮らして人生を全うできればいいかなと言う、ちょっと後ろ向きな気持ちが若干あったので、年賀状も何だか面倒になっていました。

 来たものだけに返事だけはしよう、と思って書いていたのですが、付き合いの長い方は毎年律儀に元旦に送ってくれます。その年賀状のちょっとした一言を読んで、あ〜まだこの人とは細々とながらも何らかの繋がりがあるんだなと感じてはいました。

 そんな中、昨年の4月から本格的な年金生活に入り、生活形態そのものは週3日の非常勤講師でこれまでと変わっていませんが、人と人との繋がりは、今後ますます必要になるかもしれないなという気持ちが少しだけ芽生えてきました。

 ブログを書いたりホームページを作ったりすれば、それなりのお叱りやら励ましやらのコメントを書いてくれる方もいて、これはこれで一種のコミュニケーションツールだなと思っています。

 しかし、文字だけでいくら意見交換をしても、真意が伝わらない部分も大きいです。実際にこういったブログやホームページを通してコミュニケーションが出来、特に私の場合は旅行好きですから、旅先でお会いした方もずいぶんいます。

 不思議なもので、一度会うと、その方から頂く掲示板の書き込みやコメントの内容が豊かになったように感じられます。「あ〜あの人がこう書いてくれたんだ」という、背景が見えるような気がするからかもしれません。

 加齢と共に、自分を取り巻いている人は、先ず当たり前ですが年齢的に上の方が徐々に消えていきます。また場合によっては、病気その他の事故で同年代の方が亡くなるという経験にも遭遇します。

 身の回りから、年上の人、同年代の人が徐々に消えていくことを噛みしめなければならないというのが高齢者の宿命なんだなと少しずつ実感するようになってきました。

 だからこそ高齢になったら、例え限られた人との間でも、なるべく多くのコミュニケーションが必要なんだな、なんてことまで考えてしまい、あらためて冒頭の年賀状作成の話につながります。

 年賀状は以前の職場の同僚の方からも頂いていますが、やはり高校や大学で一緒に遊んだ仲間からの年賀状はうれしいですね。

 当然みんな同年代ですから近況報告は、仕事、定年、体調等について書かれていることが多く、本人の顔を思い浮かべながらそれを読んでいると、「やっぱりお前もか〜」という気になってくるから不思議です。

 というわけですでに新年の5日ですが、今年の私自身のテーマは、コミュニケーションの場を出来るだけ拡げることに注力したいと思うようになっています。


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