人生は選択の連続

人生指南書の書籍が増加(2014.9.26)

 私は昔から旅行が好きで、特に乗り物の窓から外を流れる風景を見るのが好きでした。何の変哲もない景色が見えるだけなのに、なぜそんなことが面白いのかと自分でも不思議に思いますが、この性向は基本的に今も変わっていないようです。

 今は飛行機や車の移動が多くなりましたが、以前は鉄道が主でした。両親との旅行では必ずと言ってよいほど窓際席を確保して外を眺めていました。

 鉄道に乗っているときは、駅でレールが分岐するポイントにすごく強い興味を持っていたように思います。今更ながらに心理分析をしてみると、「もしこのポイントで列車があっちに進んだらどこに行くんだろう?」という関心があったのではと思います。

 思春期になって、自分の人生に対して多少懐疑的になったとき、「なるほど、あの鉄道ポイントへの関心は、人生の分岐点の象徴だったんだ」と気がつきました。

 人は毎日毎日何らかの選択をしています。つまりある瞬間ごとに、「この先どうすればよいか」ということを考え、選択しています。これは何も人生の指針という大げさなものではなく、単に朝起きると、「そろそろ起きようか、それとももう少し寝ていようか」という選択があり、次は朝食のおかずはどうしようかと考え、時計を見て、何時に家を出ようかと選択しています。

 そういった毎日のどうでも良いような選択を61年間繰り返してきた結果、私の場合は今に至っているわけです。もちろん中には人生の岐路と思われる選択もあったと思います。

 自分が選択したにも関わらず、相手がいて、その相手から「ダメ」と拒否されることもあります。その場合はちょっと戻ってリセットして選択のやり直しを行わなくてはいけません。

 一時期「水前寺清子」さんが「365歩のマーチ」という曲をヒットさせました。今調べたら昭和43年発売でした。私は中学か高校だったような気がします。

 当時は元気のある曲だなと思っていましたが、この中の「三歩進んで二歩下がる」という歌詞に、妙に共感を覚えました。人生は選択の連続でありながら、残念がなら選択した先に鉄道のレールは敷かれておらず、泣く泣く分岐点まで下がる、ということの繰り返しだと考えると、鉄道のポイントとの共通点もあるように思います。

 「もしあの時こういう選択をしておけば」と悔やむのは誰もが思うことですが、一度選択したら基本的には迷うことなく進み続け、行き止まりになったらちょっと戻って別の道を探すしかありません。

 ただこういった選択は他人の判断に委ねるのではなく、自分で決めていかねばならないと思っています。アドバイスや提案を受け入れるのは良いと思うのですが、それを鵜呑みにするのではなく、自分の責任で決めるということことが大事だと思っています。

 そういう気持ちがあれば、無茶な投資で失敗することもなく、振り込め詐欺被害にあうこともなく、妙な化粧品や健康食品を大量に購入する、なんてことも避けられると思っています。

 なんだかまとまりのないことを書いていますが、本屋さんに行くと、人生指南書みたいな主旨の本が増えたなと感じ、そんなに迷っている人が多いのかと思えたので、自分はどうなんだろうとちょっと振り返ってみました。


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