漠然とした不安を感じることがあります

「自分はこれから一体どうなるんだろう?」(2014.10.12)

 バンコク旅行を楽しんで、帰国後そのときの楽しい思い出を噛み締めながら旅行記をまとめています。今回は非常勤講師の仕事の合間を縫った旅行で、前後に仕事をはさんだ4泊5日という日程でした。

 それでもサラリーマンの皆さんに較べれば余裕のある旅行と言えるのかもしれませんが、もともと体力のない私には、短期集中型の結構リスクをとった旅行でした。

 特に帰国時は台風18号が来るときと重なり、現地でNHKのニュースを見て、進路がどうなるか結構心配していました。

 結果的には台風が来る前に旅行に行き、台風が去った後に帰ってくるというベストな旅行だったわけで、こんなこともあるんだなと経験値が一つ増えた思いです。

 それはそれとして、帰国してしまえば、旅行はその瞬間からすべて過去のものになります。若いときは旅行の体験も鮮明に記憶していましたので、いつまでも感動の記憶が残っていましたが、加齢と共にすべての毎日の事象が、時間と共に体をすり抜けて行くような気がすることがあります。

 不思議な感覚で、文才がないのでうまく書き表せません。旅行に行っているときは確かに面白いし楽しいし感動もするわけですが、当たり前ですが、5分もすればそれは過去の体験となります。

 刹那的な享楽という意味とも違うと思っていますが、その場その場で楽しさを追い求めているだけで、継続的な楽しさになっていないなと思うことが多くなってきました。

 以前、欲があるうちは人生を楽しめると書きました。今もそう思っていますが、では本当に自分がやりたいことをやっているのだろうかと真面目に考えると、どうも上辺だけの楽しさを求めているような気がしないでもないです。

 それでよければいいわけですが、このなんかちょっと欠けているなという感覚は一体なんだろうと最近良く考えます。

 将来にわたる資産の変化の見通しがある程度付き、贅沢をしなければなんとかそこそこ楽しむ生活が送れる目処がついたことはうれしいのですが、逆に言えばこの先一生贅沢や浪費は出来ないという制約が出来てしまったということです。

 つまり生活の限界が見えてしまったということでしょうか?世界中の景色を見てみたいとは思っていますが、現実の生活や財力を考えると実現しそうもない。

 フラストレーション?しかし実際の生活は気ままなお気楽生活を送る環境になっていますので、贅沢な悩み?しかし今の状態が5年、10年と続いて、徐々に肉体は衰えていくこともはっきり見えてきた現在、自分が本当に求めていることは何だろうかと考えざるを得ません。

 昔のシニアに較べると今のシニアは年齢の8掛けぐらいになるという話しも聞きました。だとすれば私は50歳?しかし加齢にともなって経験は増加しているはずで、それは年齢相応のものです。

 高齢化に伴って、シニアになって再婚するという方も増えているようですが、これもまた生き方の一つ。働く人も増加。しかし何か足りない。



 何もかもがそこそこうまくいっているからこその悩みというか不安感があります。それは時々頭の片隅にふと浮かぶ「これから一体俺はどうなるんだろう?」という疑問に集約されている気がしますが、どうもうまくまとまりません。


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