物があっても満たされない

豊かな生活の基本は精神的充足感(2015.9.19)

 「豊かな生活」とはいったいどういう生活なんだろう?とつくづく疑問に思います。「豊かな」という語句の中には「金銭的な豊かさ」「物質的な豊かさ」「精神的な豊かさ」そして「自身の健康状態」といったものがすべて含まれているような気がします。

 これらの条件は、どれか一つが突出していても、その人は「豊かな生活」だとは感じられないと思います。

 例えば金銭的な豊かさを求めた人が、幸か不幸か宝くじで1億円当選したとしても、その大多数は仕事を続けるというデータがあるそうですから、お金だけがやたら一杯あっても、人間は充足しないように思います。

 また物質的な豊かさを求める余り、使いもしないブランド物を買い漁り、家の中にごみのように溜め込むこんで満足している人もいるようですが、これまた買っても買っても、買い物への飢餓感は満たされないと思います。

 そう考えるとやはり精神的な豊かさが一番大きな比重を占めるような気がします。つまり、ある程度のお金があり、生活に不自由しない程度の物があり、自身の健康状態がそこそこ良好という条件を満たす中で、精神的な充足が得られれば、それを豊かな生活と呼ぶのかなということです。

 しかしここまで書いて、この先が自分だけの考えではまとまらなかったので、ネットを使って「老後の豊かな生活とはどんな生活?」と入力して検索してみました。すると「豊かな生活」とはどんな生活なのかと言うことを、きちんと説明しているページは余り見つけられません。すぐにお金の話になってしまう場合が多いようです。

 確かに健康維持一つとっても、質のよい食事をしないといけませんので、ある程度のお金が必要になります。三食すべて100円前後のカップラーメンを食べていれば1日300円。月9000円で済みますが、将来的な医療費が心配です。

 とすると、あえて栄養のバランスを考えた質の良い食事を食べ続けるためには、やはり月2〜3万程度のお金は必要なんだろうなと思います。

 さらに、仮に月3万の食費を確保でき、自身の健康状態も良好であったとしても、それだけでは豊かな生活とは程遠い、と考える人が多いと思います。

 何が欠けているのかと言えば、最初に戻りますがやはりお金でも物でもない精神的充足感ではないかと思います。仲の良い夫婦の寿命は、私のような一人ものの寿命より長いというデータもあるようですが、これも一つの精神的充足だと思われ、これなら変な話ですが無料です。

 その意味では、あまりお金をかけずに精神的充足を得る方法の第一は他者とのコミュニケーションだろうなと思えますが、一般的に男性はこれがへたです。

 健康のために近所をウォーキングしていますが、元気に声をかけてくるのはおばさんが多いです。ほとんどのおじさんは、すぐそばをすれ違うときでも無視若しくは会釈程度。私自身も似たようなもんですから反省していますが、なかなか実践は難しいです。

 ただ個人的に精神的充足と結びつくかどうかはまったく不明ですが、スーパーのレジでは会計が終わった後、「はい、どうも」と言ったようなお礼の言葉は言うようにしています。

 こっちは客ですから別に言う必要はないわけですが、特に私のように、息子以外日常的にほとんど会話が無いおじさんの場合、何でも良いから声を出す、ということは結構大事ではないかと思っています。

 ただしもちろん、スーパーで声を出してお礼を言ったから精神的充足が得られると言うわけではないです。ただビジネスライクなお金のやり取りに比べて、ちょっとだけ互いの気持ちが和やかになるのではと期待しています。


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