第二の人生の生きがいとは?

後4時間ちょっとで4月1日、第二の人生の開始?(2016.3.31)

  2016年3月31日があと4時間ぐらいで終了です。多くの人にとっても新年度に突入するわけですが、私自身もこれまで書いてきたように若干感慨深いものがあります。

 いよいよ本格的な第二の人生の始まりかという感覚です。早期退職後の6年間は、その準備期間だったのかなと思っていますが、では何を準備したのかと問われると、ほとんど何も準備しないまま6年が過ぎたという感覚もあります。

 振り返ってみれば、早期退職時から関心を持っていたことは、これまでも何回も書いているように、自分自身の健康の維持、家計の維持、そして生きる目的というか生きがいを考えることの三つでした。

 健康については、早期退職直後はストレスから解放されたこともあり、在職中より健康になったなと感じていましたが、同時に57歳から63歳に至る過程で、やはり加齢による体力、頭の回転の早さの低下が生じているなという実感があります。

 坂道を上って息が切れる、速足はともかく日常生活で走ることはほとんどなくなりましたし、本来の仕事だった授業においても、長い時間立ち続けて話すという事に、強い疲労を感じるようになりました。

 さらに授業でいえば、私の専門は物理ですが、単純な暗算に必要な時間が妙に長くなりました。暗算に要する計算過程は頭の中で整理されているのに、実際に数字を当てはめて計算しようとすると、なかなか計算結果が出てきません。

 こればっかりはどうしようもないな、でもまあ何とかに日常生活には支障はないだろうと思っていた矢先、今年の初めから感じた鼠蹊部の痛みが、鼠蹊部ヘルニアの前兆現象であり、結局手術に踏み切りましたが、やはり「老い」は確実に進行しているという認識を強くしました。

 一方家計は、57歳の早期退職直後に作っていたシミュレーションとほぼ同じような進行状況になっていて、ある意味少し余裕が出たなと一時は思っていましたが、早期退職時にはあまり考えていなかった消費増税や金融緩和による円安、年金への締め付け、医療費の増加等がじわじわと迫ってきているなとも感じます。

 これに対抗するには、通常の年金以外に何らかの収入の道があったほうが良いだろうと、早期退職前後からネットでの副収入を目指して少しずつ努力はしていますが、まあないよりはあったほうが良いだろうぐらいの収入しか確保できていません。

 ただ今さら新たに他人とのかかわりを持つような通常の仕事をやろうという気にもなれず、収入が減るか物価が上昇するなら、好きな旅行の頻度を下げるしかないなという考えで対応しようと思っています。

 残っているのが先日から書いている生きがい。子孫を残すという事業を終え、子育てもほぼ終了。その段階で何が生きる目的になるのか?

 通常は、様々な趣味という事になるのだと思いますが、旅行に行ってそれで満足か、音楽を聞いたり楽器の練習をしたり、本を読んだり映画を見たりして、それは生きがいになるのかと突き詰めるとどうも怪しい。

 他人とのコミュニケーションや、社会における自分の存在感を意識する、自分がまだ役に立つ人間であることを認識する等々、いろいろあることは分かっているのですが、それが本当に生きがいになるの?と正面切って尋ねられると、自信を持って「ハイ」とは言えないような気がします。

 そんな中いよいよ4月1日を迎えるわけですが、5年後10年後、このブログのこの書き込みをもう一度読み返してどんな感想を持つかというのが、ちょっと楽しみだなとは思っています。


表紙に戻る 老後の人生観2 コミュニティの構築