他人からの干渉を嫌う?

自分の考えと違う他人を許せない社会(2016.6.15)

 舛添知事さんは辞任の意向を固めたみたいですね。連日の追及はともかくとして、質問に対する答えの不明確さは、彼自身の裁量ではなく、もっと深い裏があるようにも見えてしまいます。

 出版社の社長というのも、もし存在するなら、表ざたにはできないような人ではないかと思えますし、そうでなければ存在していなかったという事になりそうです。

 ご本人の弁明の流れを見ていると、最初は強気、次は法的に問題ないことを証明し、これで乗り切れると思っていたのかもしれません。

 しかし追及されたことに対する答えが、一般庶民から見てあまりに常識はずれ(中国服で書道をするとか)に思えます。誰もがそんな答えでは納得できないと思うのですが、そのことをご本人は想像できなかったのでしょうか?

 それとも法的に問題がなければ、あとは適当に理屈をつけていれば乗り切れる、若しくは「乗り切れ」と誰かから指示があったのでしょうか?

 最後は継続を懇願したということですが、逆にもっと早い段階で辞職を決断していたら、これほど嫌がられ、嫌われることもなかったように思います。

 ただ、子供さんや奥さんへのマスコミの執拗な追及があったようです。公人であり、政治家ですから、スキャンダルが発生すれば家族もその対象になるのかもしれませんが、誰もが正義の使者となって家族を追い詰めるのもどうかなと感じます。

 日本人は神経質できちんとしたことが好きな人が多いせいか、ちょっとした細かいことが気になり、自分と相手の考えが違うとそれだけで自分が否定されてしまったような気になる人がいるようです。

 またヘイトスピーチでも感じますが、自分の価値判断だけを信じて、他人の価値判断を一切信じず、「正義」だと思って、ツイッター等にどんどん書き込む人も多いようです。

 世の中にはいろいろな人がいて様々な考え方がある。その前提に立って社会が成立しているのであって、多数の人がこのくらいの縛りは致し方ないと思って受け入れているのが法律かなと思っています。

 こういった感覚は、様々な人と面と向かっていろいろなことを話し合ったり、何か共同作業をすることによって少しずつ培われていくのだと思います。

 しかし私も含めて、個人が自分の生活だけを守ろうとして、他者からの干渉や影響を嫌う(近所に保育園が出来ると言ったときの様々な反応等)傾向が強くなっているなとも感じます。


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