視線を前に向けて歩こう!

大橋巨泉さんの訃報を聞いて思ったこと(2016.7.20)

 今日は朝からネットのニュースで大橋巨泉さんが亡くなられたというニュースを見て、やはり来るべき時が来たのかという思いを強くしました。

 このブログでも第1967回で取り上げていますが、まあある意味私の人生の理想像みたいな生き方をしている人だなと思っていました。

 改めてテレビ等では彼の経歴が取り上げられていましたが、56歳でセミリタイア宣言。その後は絵に書いたような、まさに悠々自適な生活を送っているのだと思っていました。

 唯一誤算だったのは「がん」でしょうか?詳細は不明ですが、ここ10年ぐらいは次々と再発する新たながんとの闘いが、人生の主な目標になっていたようです。

 それでも週刊誌に時々掲載されるエッセーを読んでいると、本当に前向きな人だなと思っていました。しかも参議院議員をつとめていた時の姿は実に若い。

 今回改めて亡くなられた年齢を確認したわけですが82歳という事で私より二回りも違っていたことに改めてびっくりです。

 しかし今回都知事選に立候補している鳥越さんも、自身はがんと闘った経歴を持ちながら、その行動も見かけも実に若い。その意味では70歳以降は、見かけの年齢がその人の生きざまでずいぶん変わるかもしれないなと思うようになっています。

 ちなみに私は現在63歳ですが、バンコクに行って夜飲み歩いていると、「あなたは何歳」と聞かれることがあります。そのたびに「何歳に見える?」と聞き返すことが多いのですが、答えは「50〜65歳」という範囲ぐらいに収まっているようです。

 少しだけ若く見られているのかもと思っていますが、こんな話をする相手が20代の若い女の子だからかもしれません。またタイの人の平均寿命が日本人よりも短いので、60過ぎて夜飲み歩いている人はいないのかもしれません。

 ともあれ、私は幼少期より喘息やアトピーを患い、常に物静かに過ごしてきた理系なので、常に実年齢+5歳ぐらいに見られていました。

 それがここに来てようやく実年齢と外見がほぼ一致してきたという事なのだと思いますが、その理由は巨泉さんではありませんが、まだまだやりたことが山ほどあるという意欲ではないかと思っています。

 要するに、人は最後の間際まで何かやりたいことを持っていれば、それなりに外見も若々しさを維持でき、最後を迎えた時もある程度満足できるのではないかということです。

 朝ウォーキングをしていると、同じ高齢者でも男女を問わず前をまっすぐ見て、目があえば挨拶をする人と、常に視線が下に向き、なんとなく辛そうな雰囲気で歩いていて挨拶も全くない人がいます。

 当然若々しく見えるのは前者です。視線が前を向いているというのは、生きることにも前向きな証拠だと言えるのかもしれません。


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