少子高齢化と世代ギャップ

2019.3.27

 朝からきれいな青空が広がり、その分午前中の冷え込みは強かった気がします。もう3月の終わりなので、バンコク旅行に行く前にファンヒーター内の灯油をほとんど使いきって出かけました。

 そのため朝が冷え込むとエアコンの暖房だけとなり、なんだか頼りない暖かさです。もちろん設定温度を上げればいいわけですが、1℃上げるだけで暖房費が増加するなんて脅かされていますから、つい我慢してしまいます。

 幸いにも10時ぐらいから室温も上昇してほっと一息です。今日も朝は6時半に起きて、ストレッチは上記の理由でサボり。朝食は昨晩作ったカレーの残り。

 みそ汁の具は旬のアサリ。食後に夏みかんを1個。息子の出勤を見送りましたが、息子の職場はなんだか忙しそう。年度末ですからしょうがないとは思っていますが、人事異動でベテランが何人か抜けてしまい、補充は新人とのことです。

 少子高齢化によって、団塊の世代がどんどん70台となり、それに続く私の世代も60後半となりました。上が抜ければ若い人たちの思うように仕事ができていいのではと思うのですが、息子は「面倒なことはやりたくない」と言い切ります。

 その昔私の父親の世代は立身出世という言葉で仕事に就き、その次の団塊の世代は猛烈社員という言葉でまとめられていたような気がします。

 そしてそれに続く私ぐらいの年代から、生活がそこそこ便利になるにつれ、徐々に若者の上昇志向が失われていき、安定した生活を求める傾向が強くなりました。

 そこにスマホが出現し、自分が積極的に動かなくても誰かがスマホの指示で何かをやってくれる時代がやってきました。一方経済的にはバブルが崩壊し、年金受給の将来が危ぶまれつつも、とりあえず何らかの職についていれば食いっぱぐれることはない時代がやってきました。

 私が就職して10年か20年たったころ、自由に職を選んで、気楽に生きていくんだと主張するフリーターなる言葉が生まれ、本当にそんなんで将来大丈夫かと心配しましたが、その将来がいまどんどん現実化しています。

 景気は回復していると政府は言いますが、実感として物価がじわじわ上がり、社会保障費の上昇もとどまることを知らず、年金財政は破綻寸前。

 というわけで、ほとんどの若者が、まあそこそこお金が手に入り、ごく普通の暮らしができれば満足。贅沢な車なんか必要ない。場合によっては庭付き1戸建ての家なんか、かえって管理がお荷物ととらえているのかも。

 私の考えはすでに古臭くなっているなと息子と話をしていると痛感しますが、地方では議員さんへの立候補者がいないなんて言うニュースを聞きましたので、次は公務員または教員かもしれないなと思っています。

 そうなると社会全体がグズグズと崩れていくことになり、さらにそれが医療現場に向かえば長寿の国なんて言うのは夢のまた夢となりそう。

 な〜んてことを息子の職場の人事異動に絡めて感じました。ちなみに、今年新しく採用される予定の女性の中に、面接のとき茶髪、マニキュアで来た人がいたようで、採用担当は悩んだ様子。

 しかし出身大学が割とよかったようで合格。この辺りの感覚も、すでに古臭い価値観を持っている私とはずれてしまっているなと感じます。まあそれだけ優秀そうな人材が少ないということなのかもしれません。
 



「継続は力」という言葉を実感


老後の人生観3


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