再稼働しなければならないという
結論が先行しています

暫定的な再稼働は意味不明です(2012.6.3)

 暫定的な安全基準にのっとって、専門家が暫定的な安全を認めたので、暫定的に再稼働をすべてきかどうか検討し、暫定的に認めようという方向になってきたようです。不確かないくつもの仮定を積み上げて大飯原発再稼働が決まりかけています。

 暫定的というのは「一時的に」とか「仮に」という意味合いをもつ言葉ですが、一時的な仮定を積み上げて得られた結論の信憑性は著しく低い、と考えるのが普通です。

 従って現状での原発再稼働は危険であり、暫定的でも認められないという結論になるはずですが、どうゆうわけか結論は、再稼働を認めるというものです。

 最初の頃は絶対に認められないと主張していた大阪市の橋本市長も、最後は「暫定的な再稼働を認めざるを得ない。だけどそれ以外は認められない。

 結果的には負けたと言われてもしょうがない」という妙なコメントを出していますが、どうしてそうなったのか理由がはっきりしませんし、この問題は勝ち負けで論じる性質のものでもないと思います。

 自分の主張が通れば「勝った」、通らなければ「負けた」という発想は、政治というものを勝ち負けだけで判断しているようで、そこに庶民の感覚や考え、立場というものを考慮するという思慮が感じられず残念に思いました。

 それはそれとして、政治のトップ付近に立っている市長や知事さんには、我々庶民の預かり知らぬ難題やバランス感覚が必要なんだろうな、ということは理解できます。

 今回は、どうやら経済界からの強い申し入れがあったために、知事や市長の立場として「暫定的」という言葉に魅力を感じ、それならば「今回だけ認めても大きな影響はないだろう」と考えたのだと思います。

 で、経済界は相変わらず「電気が必要だ」と叫んでいるわけですが、どうも人は組織にはいると組織擁護の度合いが強くなってしまい、自分自身がただの一人の人間であるという視点を忘れてしまうのではないかという気がしてしょうがないです。

 自分の会社のために電気が必要だ、と叫ぶのは結構ですが、今回の福島原発の事故で、日頃から大量の電気を使用していた製造業の経営者達はどのように東京電力を支援したのかなと疑問を感じます。

 今回の再稼働問題も、「たぶん再稼働の期間中は大きな事故は起きないだろう」という何ら根拠のない予測の元に暫定的な再稼働を迫っているわけです。

 しかし、もしその間に福島のような事故が起きれば、その影響は関西全体に及ぶという危険性をを無視して自分の会社のためにだけ電気が必要だと主張しているとしか思えません。

 自分の工場では儲けるために電気が必要だ。だから多少の?リスクは覚悟しなければならない、と思っているのかもしれませんが、多少のリスクでは済まされない、ということを昨年の事故が証明しています。

 野田総理も自分の責任でという言葉を使っていますが、じゃあ事故が起きたら政治家や安全宣言を出した人、再稼働を要請した責任者はすべて私財を投げ打って、自分は仮設住宅に住む覚悟で再稼働を容認する覚悟があるのかどうかを聞きたいです。

 実際には、自分や家族のことを考えたら、そこまでちょっとという人が多いのではないでしょうか。

 責任を取ると言ってもせいぜいが辞職ぐらいだと思います。その意味では、自分の責任でと言う言葉は空虚なものにしか聞こえません。


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