格差は拡がり続ける

収入の二極化は民主主義社会では必然?(2015.4.5)

 収入の二極化と言われ、私も確かにそう感じるなと思っていました。しかしふと思ったのですが、現在の資本主義社会では、もしかしたら二極化というのは「必然的なものかもしれない」と思うようになってきました。

 例えば第二次世界大戦後、日本でも闇市等が当たり前のように存在していたと歴史書には書かれています。要するに、いわゆる一部の財閥系を除いて、国民の大部分は貧困に喘いでいたということです。

 しかしその後日本人の生真面目さと生来の能力が開花して?経済は大発展。そうなると必然的に貧困に喘いでいた人の大部分がその恩恵を受け、国民全体の所得水準が少しずつ上昇するという画期的な発展となります。

 つまり統計学で言うところの正規分布の山で、横軸に年収、縦軸に人数をとったとき、最初は左側の縦軸の近くにピークの位置があり、そこから右側にひじょうに緩いカーブが財閥系に向かって続いていたというイメージです。

 ところが所得が増えるにしたがって、この山の位置は徐々に右側に移動し、いわゆる一億総中流という時代を迎えます。

 そしてバブル崩壊、不況という荒波があったもの、この曲線の山はいまだに右方向に少しずつ移動を続けていると思われます。

 しかし忘れてはいけないことがあります。それはどのように経済が発展しても、病気や障害その他の理由により、世の中には自分一人では、生計を維持することが出来な弱者が存在するということです。

 そういった人たちに対して、現在の社会は富の再分配という形で社会保障制度が充実してきているわけですが、当然そのお金を出すほうは必死に働いた自分の収入の中から税金や様々な保険制度の形で徴収されているわけです。

 そうやって低収入の方にはある一定の金額が保証されているわけですが、一方で横軸の右端にある富裕層の年収は、経済が発展すればするほど大きくなりますから、先日の新聞にも出ていましたが、年収何億という方が出現するわけです。

 つまり横軸の数値は経済の発展により限りなく大きな数字になっていくのに対して、自力で収入を得ることが難しい人は、相変らずその年収はゼロに近いわけで、その格差は今後も広がり続けるということになります。

 それを全体的な視野で眺めると、昔は低収入の部分に高く聳え立つ山のようなグラフだったものが、今は富士山のようにすそが広がった山のようなグラフになっているために、その中央あたりから裾野を見ると、収入の二極化が良く見えるということになりそうです。

 しかも今後この山の裾野はさらに広がり、やがて私の好きなハワイにあるキラウエア火山のように、だら〜っとした裾野になるように思われ、いわゆる年収ゼロから年収数十億という年収格差がさらに広がっていくように予想できます。

 そこでどうするか?という問題になるわけですが、私自身こんなイメージがわいてきたのがごく最近なので、結論は特にありません。ただ消費税で、全員が等しく負担するという税制度は、こういったなだらかな山型の収入構成では、報道でも指摘されているように、平均以下の収入の方の負担ばかりが増えるような気がします。

 だから軽減税率という論理もありますが、これは要するに単に生きるだけの生活を目指せと言っているようなものだなという気もします。まだ考えがまとまっていないので、うまくまとめられません。


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