収入に上限を設ける?

貧困と社会からの疎外感が事件の要因?(2015.4.24)

 毎日のようによく分からない理由(腹が立った、むかついた、イライラした、ムシャクシャした)で、他人に迷惑をかける行為が後を絶たないようです。

 単に迷惑な行為ならまだしも、中には傷害事件に発展したような報道を聞いていると、「おいおい、この国は本当に大丈夫なのか?」と本気で心配になります。

 海外からの観光客は、「おもてなしの日本」を満喫して帰っているというニュースを目にしますが、一面しか捉えていないのではという気もします。

 学校教育が画一化され、管理体制が行き届いているのは教育という一面から見れば効率的なのかもしれませんが、一方で自由な発想というものがどんどん制限され、どんな問題に対してもマルかバツ、もしくは正しいか正しくないかという二つの基準ですべてが判断される傾向が強いです。

 その結果、純粋で誠実な若い人は、間違いを極端に恐れ清く正しく生きる?ことになりそうですが、そうでない人たちは徹底的に排斥されるという感覚を持たざるを得ないかもしれません。

 それに拍車をかけるように、スマホの普及により、相手の目や動作をまったく意識せずに、仮想空間で言葉がやり取りされています。当然文字だけが伝わるので、その背景になっている人の感情や心の動きが見えず、ちょっとした誤解であっというまに仲たがいをしたり連絡不能になったり、仲間はずれになったりする場合もあるようです。

 当然メールを送って返事が来ないというだけでイライラし、疎外感を味わい、さらに孤独な生活を続けていれば、それらのストレスがあるとき一挙に爆発するということもありそうです。

 しかし本当に爆発するためには、なんらかのきっかけが必要だと思うのですが、それは働いても働いても生活は楽にならないという貧困や生きがいの喪失も一因ではないかと思えます。

 資本主義社会というのは、先日も書いたように、富める者はさらに大きな富を望み、貧しいものはなかなかそこから這い上がれないという社会構造を持っているんだということが、この年齢になってようやく分かってきました。

 とはいうものの、ではどうすればいいのか?個人的には会社の仕事にしろ、株等の投資活動にしろ、同じ1時間で得られる労働の対価にあまりにも大きな差が生じるのはおかしいと感じているのですが、実際にもらう人はそれだけの仕事をしているんだという自負があるのかもしれません。

 しかし時給800円で8時間働き6400円。週40時間なら32000円。一ヶ月で13万という収入だとしたら、これは間違いなく将来に展望は持てないように思えます。

 一方で年収1億という人がいたとすれば月収は8300万円になりますから、その差は640倍。一人の人間が真面目に働いたとき、その収入の差が、やはりこんなにあっていいのかという気がします。

 ただこう書くと、ではどのくらいの差が妥当かということになり、これまた難しい問題になりそうです。個人的には10倍ぐらいかなという気もします。それを越した分は全部税金ということにすると、どうなるのか?つまり収入に上限を設けるという発想ですが、そうなると勤労意欲が減退するのかもしれません。


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