自分の意見が含まれない総理談話

安倍総理の戦後70年談話で感じたこと(2015.8.15)

 昨日の夜は、安倍総理大臣の70年談話のニュースばかりでした。しかしハワイから帰国して久しぶりに見た安倍総理の顔はかなりやつれているように感じました。

 もともと大腸炎かなんかの持病を持っている方ですから、そういった病気が再発している可能性もあるのではと思いながら顔を見ていました。

 しかしながら、国内はもとより、国際的にもこれほど注目された談話はなかったのではないかと思います。だからこそかもしれませんが、ニュースで談話を語っている表情は、疲れ切っているなという印象しか持てませんでした。

 まあ談話の内容についても、いろいろ問題はあるのかもしれませんが、安倍さんは安倍さんなりに、日本の将来を憂えて、何ができるかということを真剣に考えている部分も少なからずあるのではないかと思っています。

 ただ私自身もそうですが、この間の自民党の強引な政権運営や、安全保障関連法案の成立によって戦争が抑止できるという説明にはまったく納得できません。そういった内外からの評価を強く感じていたのだと思います。

 一人の人間が語る言葉が、国際的に大きな関心を持たれ、賛同や批判の嵐にさらされるわけですから、そのストレスたるや、とても庶民には想像できません。

 ましてや、本来なら安全保障関連法案を振りかざして、日本は場合によっては紛争に参加する可能性があると思いつつも、内外の支持や評判を考えて、過去の流れをある程度評価した談話にせざるを得ず、これまで安倍総理が唱えてきた強気な意見を封じ込んだ内容に感じられましたから、そのストレスたるやさらに激しいものだったに違いありません。

 談話の良し悪しについては、すでに様々な方がコメントを出していますが、本来自分が思っている内容とは若干違った内容になってしまい、それを覆い隠すかのように主語を曖昧にして、自分の考えや意見は前面に出さなかった談話だったなと思っています。

 どんな言葉を使うにせよ、100%支持を得られるような話というのはほとんど不可能です。

 その意味では、内容は賛成できかねる部分は多々ありましたが、原稿をほとんど見ないでしゃべっている安倍総理の心労は相当なものだったに違いないと思え、とりあえず「ご苦労様でした」ということは言いたいと思います。


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