使い道がなくても資産増は魅力

金の魔力が政治をマヒさせる(2016.6.1)

 私が教員になったのは昭和53年なので1978年。そこから約10年間(見かけの)景気はどんどん上昇し、1990年ごろにバブル絶頂期を迎えました。

 同じころ民間企業や証券会社に就職した友人たちのボーナスは半期で100万を越えた、なんていう噂が、まことしやかに語られていました。

 やがて日経平均は38000円となり、このままいけば4万円、5万円なんて言う数字が株の雑誌をにぎわし、誰もが株式投資をすれば儲かると囁かれていました。私も就職して10年近くが経ち、生活が少し安定してきたため、余裕資金で株式投資を始めました。

 しかし現実にはバブルという言葉通り、この日経平均は幻想だったわけで、バブルすなわち泡が弾けてしまい株式は低迷。その後自民党政権は大判振る舞いをしてテコ入れを何回もしました。

 そのたびに日経平均は上昇の兆しを見せるものの、結局だらだらと下がっていくことになります。当然ながら私の初の株式投資も損失を出し、最後は損切りです。

 一方大判振る舞いの予算を組んだためか、あれから26年経った今も国の借金は積みあがっています。その間給料は上がらず、年金は減り、税金や社会保障費は増える一方なのに、少子高齢化という言葉で代表されるように、経済は一向に上昇の気配を見せません。

 だから政治が悪い、と言いたいわけではありません。一度決壊したダムを食い止めるためには、本来それ相応の痛みが必要なわけですが、日本の政治はその痛みを誰も負担せずに、本来やらなければいけなかったことを後回しにするという方法を取り、国民も選挙でその方針を支持したのだと思います。

 少子高齢化の先進国家は、いずれどの国もこういった事態を迎えるのかなと思っていますが、日本はその先頭を突っ走っています。

 しかし誰もが欲しがる金の力というか、魔力は恐ろしいです。最初は誰もが「自分の食べる分ぐらいは稼がないといけない」と思い就職したりするわけですが、やがてちょっと余裕が出てくると、そのお金の使い道は徐々に変質していきます。

 舛添知事がやり玉に上がっていますが、資産家の彼がなぜ政治資金を使って本来の業務を疎かにするように美術館巡りをして、資産増加に走るのかなと考えると、実に悲しいけど、それが普通の人なのかもしれません。

 給料が上がると誰もが最初は外食や飲み代等のレジャー資金を増やし、さらに貯蓄に励み、家を買い、家族を養い、最後は使い道もないのに資産を増やすということに向かっていくような気がします。

 そういったエネルギーが経済発展に向かう原動力なのかなという気もしますし、それが人間の性(さが)だと言ってしまえばそれでお終いですが、そういった人たちが政治という世界にいて、私腹を肥やすことを考えていると、今後も日本の景気は好転しないばかりか、資産格差は開く一方だろうなと思えます。 


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