やらないよりやったほうが良い?

貪欲な経済発展の行きつく先は一億総下流(2016.12.28)

 安倍政権だけが悪いわけではないと思うのですが、今の日本社会で落ち着いて子供を育て成長させるという機会がどんどん失われているような気がします。

 親世代は就職してから65歳まで延々と働き、さらにその後もパートで働かざるを得ないという人が増えています。更に最近では年金受給が68歳、70歳になるのではと、若い人たちの大半が予想しているような気がします。

 しかももらえる年金は、自分が拠出した年金保険料に比べると、トントンかそれ以下になる可能性がありそうです。私の世代は何とか自分が収めた以上のものを確保できているようですが、その額は今後も年々絞り込まれていくのだと思います。

 失礼ながら、年金で良い目を見ているのは今70歳を越えている人たちかなと思われますが、そういった政治家が若い人や年寄りにもっと働いてくれなければ困ると思って年金制度をいろいろいじっているような気もします。

 結果的に、金がなければ働ける間は働かざるを得ないという状況に少しずつ追い詰められているのが、今の日本の勤労者の現状です。

 こうなってくると余裕ある生活ができる人は限られてしまい、下流老人ではなく、1億総下流国民という事になるのではという不安を覚えます。

 生きていくために金を稼がなくてはならないわけですが、そのために日常の時間の大半を奪われてしまえば、それ以外に何かを行う事は出来ません。

 という事は家庭生活を営んで、子供を育てるという余裕が必然的になくなります。そのことを予測した人たちの中には子供を諦める人もいるでしょうから、必然的に少子化がますます進むことになります。

 そうなると人口はますます減少し、若手就業者は減り、産業構造が変わらなければ慢性的な人手不足となります。必然的に年金保険料の積立金は激減し、年金制度はじわじわと崩壊するような気がします。

 その結果ますます一生涯働かなくてはいけないという人が増えますので、これはもう悪循環以外の何ものでもないです。たぶんそういった悪循環に陥る前に(陥りつつあるのだと私は思っていますが)何らかの発想の逆転が起きないと、まあ日本はじり貧だなと思えます。

 つまり幸せは経済的な消費社会で得られるのではなく、原点に立ち返って家族一同が集まって和気あいあいと素朴に飲食を楽しむことが最高の幸せなんだと気が付く人が増えないといけないような気がします。

 そういった生活感で素朴な生活を楽しむ人が増えれば、一時的に浪費は減り経済は落ち込むと思いますが、それによって脆弱な浪費に結びついた経済発展は淘汰され、地道な経済が生き残るのではないかと思えます。

 まあ私は経済学者でも社会学者でもないので難しいことは分かりませんが、基本的に欲望に任せてひたすら働いて、ひたすら稼いで、それをひたすら消費するだけという経済のありかたには無理があると思っています。

 もうこの辺で稼ぎは十分だろう。これ以上あってもしょうがない。血の滴る柔らかいステーキは食べなくても、梅干し1個でご飯を食べれば、最終的には満腹になるだろうと考える発想が必要です。

 貪欲にあれも欲しいこれも欲しいと思うのではなく、このぐらいで充分だ。人が何を持っていようが、自分は自分の家族とともにつつましやかに暮らすのが最高だ、と思える人が増えるときがいずれ来ます。

 その時から日本経済は持ち直すのではないかと思うのですが如何でしょうか。ただしそうなるためにはそう考える政治家が増えないといけないなと思うのですが、どうもその点、現実は全く逆の発想をしている政治家が多いような気がします。


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