会話の不足が政治家の妄言を生む?

2017.4.28

 一人者のシニアが日常生活の中で会話をする機会はそうたくさんありません。一方会話をすると脳が活性化するので、認知症等の予防になると思っています。

 というわけで、現在の私の生活を振り返ってみると、会話をするのは息子とのやり取りが一番大きいです。まあ男なので、それほどしゃべるわけではありませんが、夕飯時のひと時、大学のことやバイトのこと、テレビの内容について感想を述べあったりします。

 面白いもので、昔は感想を言い合うだけでしたが、最近は息子が私の考えに反論することもあり、「生意気になったな」とムカッとする反面、「よくもまああのガキンチョが成長したもんだ」とちょっとうれしくもなったりします。

 しかし食事が終わると息子はさっさと自分の部屋に入り、コンピューターをいじっていますので、結局食事中の30分〜1時間程度が会話の機会と言えそうです。

 また家族との会話という点では、月に1〜2回実家の母親の通院で診療所まで送迎していますが、この時の車内で若干の会話。まあだいたいが体の健康の話ですが、それでもお互いの近況は分かります。

 ではそれ以外はどうなのか?スーパー内を歩いていると、時々独り言を言いながら歩いている人を見かけますが、たぶん日常生活の中で会話がないんだろうなと感じます。

 というのも私自身時々家にいるときに、「まいったなあ」とか「さてこれからどうするか?」なんて独り言をつぶやいている時があるので、きっとそういった習慣の一貫なんだろうと想像しています。

 前にも書きましたが、昔の商店街では店主と客若しくは客同士の距離が近かったので、そこでお互いに冗談を言ったり情報交換をする機会がありましたが、今のスーパーはほとんど会話がありません。

 時々鮮魚コーナーで、「これ煮つけにしたいんですけど」とか「三枚にして」というやり取りがありますが、これ以外のやり取りはナシ。「奥さん、今日は・・・が安いですよ。いかがですか〜?」なんて声を張り上げている人はほとんどいません。

 つまりスーパー内を歩いていても、時折甲高い子供の泣き声は聞こえるものの、会話がほとんど聞こえないという事です。これは通勤電車の車内もそうですね。電車の騒音が聞こえるだけで、人がいっぱいいるのに不気味に思えるほど静かです。

 時折女子高校生がキャーキャー言いながら乗ってくると、逆に「うるさいな」というように顔をしかめる人もいます。そういった雰囲気を感じるのか、最近は話好きな高校生も車内ではスマホをいじって静かなもんです。

 私が高校生だったころ、やはり電車通学でしたが、友達同士が乗り合わせると結構会話が弾んだように思います。その意味では、高校生も、以前の方が会話の点で活気があったように感じられます。

 実は今日私がこういったテーマでこのブログを更新しようと思ったきっかけは、再び読み始めた新聞記事の影響です。先週の水曜日だったと思いますが、毎日新聞の水説というコラムに中村秀明さんという方が「会話が疎まれる時代」という文章を書いています。

 一読して驚いたのは、サイレンスタクシーという、運転者が客に話しかけないタクシーというのが京都にあるという内容です。要するにタクシーで必要なのは挨拶と行き先だけでそれ以外は必要ないという事です。

 確かに中には話好きの運転手さんがいます。こちらが疲れていたり話をしたりする気分ではないのに何やかんやと話し掛けられると、だんだん不機嫌になって相槌しか打たなくなることが私にもあります。
 
 実はこういったことは、私にとっても苦痛で、床屋さんに行って話しかけられても面倒だなと思うときが多いです。しかし考えてみれば、日常生活で独り言がつい口に出る生活を送っているわけですから、話しかけられたらこれ幸いに話をするというのも良いのかもしれません。

 コミュニケーション不足が言われる中、話をしなくなれば誰かに何かを説明したり説得したりする話術もどんどん衰退しますね。そんな世の中だからこそ、本来頭が良くて話術が巧みな政治家たちが、庶民の気持ちを考えずに思ったことをそのまま口にしてしまうのではないかとも思えます。


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