アナログ世代とデジタル世代の分かれ目

介護を受けるならロボット?それとも移民?(2016.4.22)

 団塊の世代が80歳を迎えるころには、医療現場は疲弊し、少子化によって介護の担い手が不足する事態が予想できます。その下の世代である私の場合は、更に事情が厳しくなっているかもしれません。

 しかしそれを過ぎると、早い話が団塊の世代の人数が徐々に減るはずなので、少子高齢化の勢いは若干鈍るわけで、その意味では今から10〜20年後ぐらいが、日本の社会保障にとって一番厳しい時代なのかなという気がします。

 年金は確かに65歳前からもらえて若干得した世代ですが、将来の介護の問題を考えると、「厳しくなるんだろうな」とため息が出ます。

 今日の朝刊に、我が家の近くに新しくできる介護老人ホームのチラシが入っていました。最初に支払う入居一時金はゼロとのことで、月額が16万ぐらい。

 「安いじゃん」と思いましたが、介護保険等の費用は別に払う必要があり、なんだかんだで月20万ぐらい必要なんだろうなと思え、だとすると私の財力(年金)では利用できないなと感じます。

 長生きすればするほどこういったリスクが増える社会というのは、なんとなくどこか間違っているとしか思えません。しかしどうしたらよいのかとなるとさっぱり見当もつきません。

 数日前の毎日新聞朝刊のコラムに、「ロボット介護時代を見据えて」という、リコー経済社会研究所の稲葉さんという方の記事が出ていました。

 日本とドイツ国民に、老後に介護が必要になった場合ロボットに委ねるか、移民に委ねるかという質問を行ったところ、日本は圧倒的に介護ロボットを選んだそうです。

 逆にドイツ側は移民を選ぶ人が多かったようですが、ロボットの誤動作が怖いという印象を持つ人が多いようです。

 一方日本では介護ロボットが次々と開発されているようで、もともと島国で他国と国境を接していないため、移民という言葉にアレルギーを示す人が多いのかもしれません。

 私なんかの個人的な感覚では、無機質な介護ロボットよりも、心の交流が出来る可能性を求めて、移民の方の介護を選ぶかもしれません。

 しかしこれはもしかすると私自身が40代以降、ハワイやケアンズ、バンコクに行くようになったからそういった感覚を持つようになったのかもしれません。

 今日のテレビのニュースでは、オリンピックに向かって自動運転タクシーを開発するなんていうニュースをやっていましたが、これも人より技術を信頼するという流れの一環ではという気もします。

 自分自身がどんどん古い思考形態になっているのかもしれませんが、タクシーに乗って無機質な声が「いらっしゃいませ。どちらまで行かれますか?」と尋ねてくるような車には、あまり乗りたくないなと思ってしまいます。

 ロボットに介護をゆだねるという事は、人間的な交流は望まないという事だと思いますが、それが良いのか悪いのか?なんかすごく寂しいなと感じるのですが、スマホ世代はそれでも良いと考えるのかもしれません。

 その意味では団塊の世代から10年ぐらいが、アナログ世代とデジタル世代の切れ目だと言えるような気もします。

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